主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)

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教会の菊の花が咲き始めました。ルルドの前の花壇の菊が咲き始めると、教会のあちこちの菊が、「負けてはならじ」とばかりに開花し、まるで開花競争をしているみたいです。

つい最近までは、ゆりが咲いていました。今では、枯れて黄色になった茎を残し、菊の花の開花を遮っているような感じでしたが、枯れたゆりを抜き取ったり茎を折ったりしたら、途端に花壇は菊の舞台に早変わりしました。

教会の菊は、相当前に植えられ、咲くまま、枯れるままにしておかれていたので、夏の花が終わると、そのままで消えたようになっていました。しかし、決して枯れたわけではなく、秋を待つおやすみタイムを過ごしていたのです。ただ、他の草花や、雑草の中に埋もれていただけなのでした。

秋に入ると、しっかりと青い葉っぱを伸ばし、ちゃんとその存在を示してきます。ですから、所々に支柱を立てて、茎を持ち上げ、花が咲いてもいいようにしてあげました。その茎は細く、果たして花を咲かせるかどうかと思わせるようなものでした。11月とともに菊の季節がやってきました。

毎年のように、蕾が開いて、花が咲き始めました。菊の季節が来たのです。花は小さくて、決して派手なものではありません。どっちかといえば小菊にあたる系統です。ともかく花壇一帯に広がっていますから、菊の園に早変わりしました。植え替えると良いとか、全部抜いて、新しく、苗を植えて育てたらいい花が咲くよとかの助言をいただいたことがあります。その通りでしょう。それは、私の仕事ではありません。私も、空いたところに花の苗を買ってきて植えることもあったし、球根をたくさん買ってきて、寒いうちに植えて、春の開花を楽しみにしたこともあります。トマトや野菜を育てて、成功したり失敗したこともあります。しかし、私が目指すのは、今ある花や果物をそのまま育てること、その実りをみんなで楽しむことなのです。ですから、雑草は、徹底的に抜きます。雑草と一緒に花も育つとか、野菜も収穫できるということは、例外はありえても、両立しないものと考えています。

もちろん花や野菜が雑草の中で育っていることも知っています。また、そういう農法があることも知っています。そういう農法を真剣に実行しているのなら、それでいいでしょう。しかし、家庭菜園や、教会の花壇では通用しない農法です。ちゃんとした農園で、それをやったら、周りから苦情が出て、続けられないと思います。とにかく、こまめに雑草を抜いて、必要な野菜や花を育てるのが常道だと思います。

さて、菊に戻しましょう。以前、私が小学生の頃、花を売って小遣いにした話を書いたことがありますね。家の近くの道端に、こんもりとするほど育った菊がありました。小菊です。人が通るのに邪魔だから、そろそろ、根っこから切る話が出ていました。母が、その菊のひと枝を切ってきて、小さな花束を作り「哲ちゃん、こうやっては束を作って朝早く市場に出すと、売れるよ」というのです。私は、近所の遊び友達を誘って、花束をいくつか作って市場に持ってゆき、売ってくださるように頼み、係りの人に「売れましたか」と聞いたら、「ああ、あの花だね、1束15円で売れたよ」という返事で、「事務所に行って聞いてごらん」と言われ、行って、その話をしたら、「これが菊の代金だよ」と言って小さな紙袋を渡してくれました。菊が売れること、小さなお金でも、たまればバカにならないことを知る良い体験でした。大きな菊ではなく小菊と付き合うようになる発端です。

79に手が届くこの歳になっても、ご縁があるのは小菊です。今でも、花屋さんに行って買うのは小菊です。いつも、小菊を数本買います。二階の司祭室の入り口に活けます。お金に余裕があったら百合を二、三本買って、部屋の中に活けたいところですが、値段が高くてやってません、ひたすら小菊どまりです。毎日、水を取り替えるおかげで二週間か三週間は持ちます。「よく頑張っているなー」と褒めてやります。

いろんな花屋で小菊を買い続けてきましたが、やっと一軒の花屋さんに定まりました。清瀬駅南口を出てから右側に行ったところ、パチンコ屋の隣、花の店「白樺」です。

そこに花屋さんがあることは、駅に行くたびに見ていて知っていました。ある日、思い切って店の中に入ってみました。表からはよく見えませんでしたが、中に一歩入ると、生きのいい小菊が山のように置いてあり、色も、三〜四種類そろっていました。その中の三種類を注文し、茎の端を揃えてもらいました。その時、ご主人の右手を見て驚き、ついつい、聞いてはならないことまで聞いてしまったのです。

若い頃、機械で右手の指を落として仕事をなくし、死ぬほどの苦労をして今の店を始め、良き妻を得て、毎日頑張っている。「おかげさまで、なんとか、店も、お客様に支えられて、やらせていただいています。ありがたいです。」
私は、帰り道、教会まで涙が止まりませんでした。

西川神父絵