主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)

IMG_2082 コピー

前にも書いたことがありますが、私の小さな趣味の一つは、新聞に掲載される短歌を読んで味わうことです。朝日、読売、毎日、東京の四紙が、毎週決まった日に俳句と短歌を一面の半分ずつ掲載します。

私は、一応両方に目を通しますが、俳句は一応読む程度で、気を入れてきちんと読むのはやはり短歌です。いつも、俳句と短歌が掲載される日に、読売と朝日と東京を近くのコンビニに買いに行っていました。週に一回とはいえ決して安くない買い物です。その話をしたら、次の週から、朝日と読売の俳句短歌欄を切り取って、Oさんが届けてくださるようになりました。とても助かっています。おかげさまで、なんと三紙の、約四十句の俳句と四十首の短歌を鑑賞させていただく恩恵に与っています。短歌だけはきちんと読み、俳句は目を通すことが多いので、さほど時間はかかりません。とは言っても、いい短歌は何回も読み味わうことが多いので、気がついたら1時間や2時間かかることもあります。ともかく、短歌と俳句を読むためだけでも、月4,300円の新聞購読料は高くないと思っています。

新聞社で、それぞれ投稿された俳句や短歌を選び、選評も寄せる歌人や俳人を5人ほどに委託しています。選評は二句(二首)だけですが、その短評が素晴らしい。「なるほど〜」と思わせる二〜三行です。俳句はともかくとして、短歌に関しては、それぞれの選者さんから教わったことが、どれだけ短歌理解の力になったかわかりません。とりわけ、毎日歌壇の選者の方々に改めてお礼を申し上げたいと思います。

ところで、なんとなく気になる選者は、読売歌壇の俵万智さんです。俵さんが読売歌壇の選者になられたのを覚えています。と言ってももう何年も前のことですが、選者に選ばれたことがニュースになりました。「新人登場」という印象でした。読売の選者といえば、短歌会の大御所がなるものという固定観念があり、俵さんは、まだまだ大御所という感じではなかったからです。「サラダ記念日」とか「チョコレート革命」のイメージが先行していたからでしょう。ところが、俵さんが選ばれた歌は、御三人の選者と一味違うのです。でもその違いは今の時代を映した写真のようで、新鮮な印象がしました。それは今でもそのままです。

俵さんの話を続けます。昨年の9月に『未来のサイズ』(角川書店 2020年)という歌集を出されました。待ってましたというように売れ続けて、今年の4月には第4版が発行され、本屋さんによっては早速品切れになるほどでした。

私が持っているのはその4版です。短歌集とか詩集等の本は、出しても売れないというのが定番ですが、売り切れて再販を待つ俵さんの歌集は、別格です。その歌集というのが、先ほど紹介しました『未来のサイズ』です。タイトルは、「制服は 未来のサイズ 入学のどの子も 未来着ている」の歌からとられています。

子どもを持つ親なら誰もが経験している、なんでもない現象です。子どもはすぐに大きくなります。着るものも、大きめ大きめを選びます。着慣れてくるうちにぴったりになることを、知っているからです。何気ない子どもの成長を、未来という言葉で言い当てているところに、この歌の快い味わいがあります。母親でないとわからない万智さんの鋭さと温かみが伝わってくる名作です。

男性女性にこだわるわけではないけれど、2日付の毎日歌壇に載っている、「逃げ惑う人は行李(こうり)を担いでた ゴジラ映画の最初の頃は」を選ばれたのは米川智嘉子さんです。評として「ゴジラ映画の第1作は1954年。ありありと時代を映す映像。」とあります。女性ならでは、という印象を受けました。

俳句と短歌は、後ろの七七の違いだけですが、別の世界といってもいいほど違います。俳句は季語が必要ですので、自然と季節の移り変わりを言葉に表し、その中に気持ちを込めるようになります。その点で、短歌は日常の経験や出来事が、短い言葉に託されて映し出されます。

私は、短歌の中にその人の心境を感じ取って、鏡に映った小さな出来事を共有します。共有するということは、仲間になれるということです。大げさかもしれませんが、一首の短歌で、気持ちが通いあい、励まされ、力を頂けるのですから、短歌は手放せません。

新聞の短歌欄は、切り取っておいて、出かける時はポケットに忍び込ませておきます。電車の中とか、講演会やコンサートの合間に、そっと取り出して読みます。心に響く短歌はいつもあるわけではありませんが、その方の気持ちが伝わってくる短歌には、しばしば出会います。新聞の短歌欄にあるのはたったの四十首ですが、出かけている間、そっと取り出して読みますので、教会に帰った時は、くしゃくしゃになっていることがしばしばです。

西川神父絵