主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)

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来週の月曜日(9月13日)から、聖堂でミサが始まります。週日のミサです。コロナの感染は収束したわけではありません。むしろ、現実は感染が広がっていると言っても言い過ぎではありません。しかし、三密を避け消毒を徹底すれば、感染を食い止められるという見通しが立ったというべきでしょう。教区長である菊地大司教様の苦衷がしのばれます。

今年はパスしましたけれど、平和旬間、聖母被昇天は、教会にとってミサや集会が欠かせない行事です。平和を祈る十日間を平和旬間として定め、教会が、社会に、「核兵器は、保持していること自体が、倫理に反している」(教皇談話)と発声し続けることが、教会の一つの使命であると言っても過言ではありません。また、コロナを含めて、様々な苦悩の中にある人類の母として、聖母が慈しみを注ぎ、とりなしてくださっていることは大きな慰めです。

さて、暦は9月に入りました。19日の日曜日から、教会で通常通りの主日のミサが捧げられて行きます。ミサを含めて、教会の集いが感染の場になってはならないという大司教様の決意は、教会の端々にまで行き渡りました。ミサを休んでいる教会に、少しでも元気を贈りたいという様々な試みは、司教と信徒、さらに、多少とも興味を持つ方々に伝わっていますし、教区を超えて、日本中に伝わっているようです。大司教様のご努力と協力者の熱意に、拍手を送ります。

「ユーチューブというのが見たいんだけど、何かいい方法はないかね」という母親の言葉に応えて、ボタンを二つ三つ押せば大司教様のお顔が出てくるテレビを息子が買ってくれたので、毎日見ているというお話を聞きました。若い神父さんたちのお話に耳を傾けると、どの神父さんも、どのような形で教会が立ち直って行くかに思いを馳せておられるのがわかります。

それにしても、ワクチンすら思うように行き渡っていないのが現実です。気を許して警戒心を緩めたら、その隙をついてウイルスが侵入し、とんでもない被害をもたらしかねません。絶えず、三密を避け、手洗いうがいをし、マスク着用を励行していかなければならない状況は続いています。

最近、ほとんど買い物以外は、外に出ないようにしていますが、先週、納骨式があって、都内に出かけ、電車で帰ってきました。車内の換気については問題なかったと思いますが、三密の一つ、密集に関しては、問題を感じました。一応、ワクチンは2回目を終えていますので少し安心ですが、「不要不急」でなくても、人が「密集」するところは行かないようにしています。

来週から、公的ミサが始まります。「十分に気をつけてください。無理しないでください。ミサ参加の義務は免除しています。ミサ後の対話は、控えめにしてください。感染は、どんな形で起こるかわかりません。」と、司教様も厳しくおっしゃっています。

秋となれば、毎年、バザー、墓参、小旅行と、集まって密接する行事がつきものです。これくらいはいいだろうと思いがちです。その気持ちの緩みが、クラスター(同時に数人以上の感染者を出す現象)の原因になるのです。教会でのクラスター発生は、教区内全体のミサ中止にも関わってきますので、気をつけましょう。

秋の行事はなんとかするにしても、教会にとって、復活祭同様に重要な「主の御降誕」を祝うクリスマスはどうでしょう。今の感染度からすると、クリスマスも当然、お祭り騒ぎは自粛となるでしょう。仕方がありません。三密を避け、コロナの収束宣言が公式に出されるまで、忍の一字で待ちましょう。

司教様は、信徒の霊的乾きに対して、今まで以上に、あらゆる手段を講じて、霊的なヒントを送ってくださることでしょう。なかなか教会に来られない信徒に、遠ざかった教会への道をどうととのえるかは、これからの教会活動にとっての一つの課題になるに違いありません。このような事態になって、目覚ましい進歩を遂げたのが、ネットを使った配信です。東京教区が発信している「週刊大司教」は、今や知らない人がいないくらいのシェアの広がりを数字が示しています。

「災い転じて福となす」は、神様のみ業の意義深さを示す聖句ですが、コロナまん延とその脅威を、福の種に変えてゆく工夫をして行きましょう。その一つは、ご聖体の恵み深さの再発見です。私たちには、ちょっと教会に寄って祈る習慣があります。そして、聖体拝領を希望したらご聖体がいただけるのも、ありがたいことです。人数に限度があるかもしれませんが、大丈夫です。司祭が留守にしていたら残念ですが、戸を叩いてみてください。

ちなみに、私は、よほどのことがない限り教会にいることにしています。買い物で商店街に出たり、北口の本屋さんや花屋さんに行くことがありますが、毎日ではありません。電話を下されば待っています。

西川神父絵