主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)

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約1か月前、4月8日(木)、多摩北医療センターを退院し、教会委員さんの車で教会へ帰ってきました。嬉しくて、嬉しくて車を降りてしばらく帰って来られたことを神様に感謝しました。感謝の祈りをささげて、信徒会館に入り、二階に上がりました。

手紙等にさっと眼を通して下に降りました。すると、どういう訳か、教区事務局長の浦野神父さんが来ておられ、図書室で話し合いがありました。話の中味は簡単で、このまま教会で生活する前に、リハビリのために、関口の構内にあるペトロの家にしばらく居なさいとの事でした。早速、教会のあれこれをこなすつもりでいたので、ちょっと戸惑いましたが、事務局長の指示は大司教の指示と受け止めているので、30秒もしないで「わかりました。そうします。」と返事し、二階に上がって、大きなカバンから出したものを、再び中に詰め直して下に下りました。

約一時間後、車はペトロの家の玄関に着きました。カバン二つを手に、浦野神父さんとペトロの家のスタッフの方のうしろについて行き、一階の一番奥の部屋に案内されました。結局、その部屋で約一カ月過し、ゆっくり、のんびり、リハビリ生活を送ることとなったのです。

リハビリは、多摩北病院でかなりやりました。特に階段を上がったり下がったりする動作は、大丈夫というまでやりました。ですから、ペトロの家でもエレベーターを使わず、始めから、階段を使うようにしていました。

何度も報告させて頂いたように、ペトロの家では、最初だけ歩行器や杖を使いましたが、だんだんと歩行器を使わなくなり、杖からも解放されて二本の足で歩くようになりました。この事は、何回も司祭短信で報告した通りです。浦野神父さんの指示通りリハビリが必要でした。

心配していた神経痛は「少し強い薬」で次第に痛みが消えてゆき、あれだけ苦しんだ痛みが消えて、普通に動けるようになっています。ともかく、痛み止めを一日二粒ずつ朝食と夕食後に飲んでいます。まだかなり残っていますが、薬がなくなる頃には痛みが無くなっているだろうと思います。

退院した時、教会の聖堂や庭を見てまわりました。庭に咲いた花、特にバラがきれいでした。信徒の方々が草をとったり、枝を切ったりした褒美(ほうび)に神様が下さったのでしょう。昨年も見事に咲きました。教会と花は絵になります。長崎の五島列島の教会を歩いた時、花がきれいに咲いているのをみせて頂きました。司祭が住んでいない無人の教会でも、手入れが届いており、教会を大切にしている信者の気持ちが伝わって来ました。

さて、浦野神父さんとの話し合いで、6日(木)にここペトロの家から教会に移ることになりました。「見ると住むでは大違い」という諺を作りたくなる程ここのペトロの家はよく出来ています。10年の時間が過ぎて、あちこち手をいれなければならないカ所も出てきているようですが、この建物は良く作られています。築10年という経年劣化の所もない訳ではありませんが、一生を捧げて司祭として生きて来られた司祭が、余生をゆっくり過ごすために、あらゆる人知を傾けて作られた建物であることを感じます。その分だけ、経費もかかるであろうと見受けます。

建てる時に、何回か会議に出ましたが、最後に話題になったのは、何人分の部屋を用意するかという規模の話でした。これだけは神に聞いてみないとわかりません。でも最大限の人数を割り出したとき、20室という部屋数が想定されました。高齢の司祭が多かったからです。10室でいいのではないかとか、15室は必要だという意見もありました。結局、20室という数字で落ち着いたと覚えています。全室南向きというのは、当時の補佐司教幸田師の一言でした。いろいろなアイディアも入れられました。10年たった今、空室がいくつかありますが、住みやすい、すばらしい施設になっています。食堂や聖堂も席が余っています。「大は小を兼ねる」という諺通り、ゆったりとした住まいです。

いつかも申し上げましたが、ゆっくり休みたいと思われる神父さん、修道会や宣教会の皆さん、一度でも二度でも泊まってみてはいかがでしょう。聖堂も食堂も、もちろん部屋も空いています。

西川神父絵