主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)

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いつの間にか五月に入ってしまいました。先週は、サレジオ会の田村神父様と一緒にミサをささげることができて仕合せでした。司祭館で昼食をいただき、いつものドロドロコーヒーを飲みながら、長い話をしてしまいました。修道会は、どの修道会にもつながりがあって話は尽きないのですが、特にサレジオ会は、神学校(関町)で一緒に机を並べ、一緒に食事をいただくこともあったので、まるで兄弟のような感じがしています。だから、コーヒーを飲みながらなつかしい話に浸ってしまいました。

さて、話は4月下旬にさかのぼりますが、22日、浦野神父様が、ペトロの家で静養している私を車で多摩北医療センターに連れて行ってくださいました。それは15日に診察に行ったときに予約していたMRIの検査を受けるためでした。神経痛がどこから来ているかを調べるために、全身レントゲンにかけることでした。MRIは一度受けたことがあるのでどんなものかは分かっていました。全身を輪切りにして写真を撮るものです。

昔とちがって大きな音がする訳ではなく、半分寝ているうちに終わりました。それから直ちに整形外科の診察室の前で順番を待って、名前を呼ばれて、朱先生の前に座りました。先生は、先ほど行ったMRIの画像をパソコンで見ながら、「あった、あった、これです。痛みの原因は」と、ボールペンで示されました。それは腰の骨のひとつの部分でした。そして、「これが痛みの原因です」とおっしゃいました。説明の要旨は、長く左足の痛みをかばって無視をしているうちに椎間板にヘルニアを起こしてしまったのです。「これです」と説明してくださいました。つまり、「神経にふれているのです。その痛みですよ」という訳です。「まだ小さいので薬で治していきましょう」とはっきりおっしゃいました。病名は、「椎間板ヘルニア」です。そう言って、一枚の処方箋を書いてくださいました。浦野神父様は、関口に薬局があるからと云って、処方箋をしまうと一路関口に向かいました。

すべて食後にのむ薬ばかりですが、朝昼晩の食後に一錠ずつのむ薬と、朝・夕食後に二錠ずつのむ薬と、4種類の錠剤が渡されました。最後の朝・夕食後に二錠ずつのむ薬が、ヘルニアの痛みを直撃する薬です。きちんと飲んでいれば痛みは消えます。あるんですね。そんないい薬が。

そういう訳で、薬をのみながらの日々を過ごしています。人工関節を入れた左膝は、まだ少しはれぼったい感じがしていますが、ともかく痛みはなく、ひたすら歩きながら慣れてゆくのを待っている感じです。おそるおそる散歩をしています。リハビリです。教会の階段と似たようなペトロの家の階段を、日に何回も昇降しています。エレベーターは使いません。散歩の後は必ず洗濯をします。汗をかくからです。洗濯物を両手で持って、長い階段を上がります。すべてリハビリになっています。

今週(先週)に入って、午前中、長い散歩に出ることがあります。関口は地形的に高台にありますので、早稲田も江戸川橋、音羽通りも、坂道を下りたり上ったりしなければなりません。4月27日の火曜日は、学生時代に通った和敬塾の横にある長い階段(胸突き坂)を下りて早稲田に行き、江戸川橋を渡って目白坂を上ってペトロの家に帰るコースを歩いてみました。いざとなればバスを使うこともできましたが何とか帰ってきました。歩数計を見たら5,600歩になっていました。無理は禁物です。午后は少し横になって昼寝をしました。

さてさて、もうひとつ報告したいことがあります。それは、ペトロの家のことです。ペトロの家では、誕生日を迎えた司祭のためにその日の夕食で誕生日のお祝いをします。つまり誕生日を迎えた司祭のためのお祝いの集いです。その日の夕食がお祝いの集いとなります。時々お見えになっている大司教様も参加され、お祝いのひとことを述べ、「長い年月、ごくろうさまでした。これからもお元気にお過ごしください」と、やさしい言葉を贈られました。

この日の主役は79歳を迎えられた小林祥二神父様でした。「みなさんのおかげで司祭として働くことができました。これからもよろしくお願いします」と挨拶され、めずらしくワインがつがれ、「カンパーイ」で食事が始まりました。東京教区で働いてきた兄弟のような仲間です。顔を見ているだけで、今まで働いてきた道が絵に描いたように見えます。心から「ごくろうさま」と言って、誕生日をお祝いしました。

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