主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)

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東京教区の事務局長を務めておられる浦野神父様のご厚意で、先々週の日曜日と先週の日曜日、私を乗せてペトロの家から清瀬まで連れて行ってくださいました。

朝6時半にペトロの家の玄関に車を着けて下さり私を運んで下さったのです。こんな贅沢な事ってあるでしょうか?本当に恐縮しています。

教会では、8時のミサと10時のミサを司式して下さるのです。私といえば、祭壇の後ろで椅子に座っているだけなのです。 ミサとミサの間は、私はロビーや図書館に座って信者さんと声を交わすくらいです。でも、顔を見るだけ又ちょっと声を交わすだけで心には溢れる程の喜びが満ちて胸がいっぱいになります。

一回目の11日と二回目の18日に違いがありました。それは、一回目は杖をついていましたが、二回目はその杖が無くなっていたのです。その違いをもたらしたのは薬でした。

4月15日(木)、入院していた多摩北部医療センターに行ったのです。そして外来で朱先生に診察して頂いたのです。予定では5月6日に外来で診ていただく事になっていましたが。

ある日、浦野神父様が私のところへ来て下さって、多摩北部医療センターの診察券を見ながら電話をして、かなり強引に4月15日の診察を勝ち取って下さったのです。

15日の朝7時にペトロの家を出発し、ほんの30分ちょっとで病院に着きました。病院はかなり混んでいましたが、1時間たらずで順番が回ってきました。 朱先生の診察は簡単で「そうですか。神経痛ですね。座骨神経痛ですね。退院する時に出した薬にも入っていたのですが、少し強い薬を出しましょう。今日からの分を出しますから少し様子を見て下さい。」とおっしゃいました。診察はそれでおしまいです。

ペトロの家の近くの薬局で薬を出してもらい、その日から飲み始めました。すると、どうでしょう。三日目の朝、起きた時、いつも神経痛でピリピリして痛んでいた右足がさらっとして痛みが走らないのです。痛くないのです。驚きました。そっとベッドから足を下ろして様子をうかがいました。大丈夫です。両足に力を入れて立ってみました。これも大丈夫です。

「少し強い薬」の効果は確かにありました。とにかく、少し無理をすれば杖なしで立っておれるし、歩く事も出来るのです。そこで三日後、清瀬教会に連れて行ってもらった時、思い切って杖なしで立っていたり、歩いたり出来たのです。内心、皆さんに「ここまで良くなりましたよ。」とお見せしたかったのです。しかし、それは治ったということではなく、薬が効いているだけでした。

浦野神父様は15日に多摩北部医療センターに行った時、次の診察予定を取って下さいました。それは、神経痛がどこから来ているかをみるために全身検査MRIの予約を先生から頂いて下さいました。MRIは全身レントゲン検査のようなものです。4月22日に連れて行って下さいます。多分「強い薬」に勝る効果をもたらす所見が出て来るでしょう。

何人かの手術経験者がご自分の体験を話して下さっているので、これからの事が何とか推察出来ます。どなたも、元通りになるのに半年か一年かかるとおっしゃいます。私も例外ではないでしょう。気長に、きちんと治して行こうという気持になりつつあります。

皆さまのお祈りと浦野神父様のような献身的な協力のおかげです。素晴らしいです。

さて、先週の月曜日は、カテドラル・マリア大聖堂で昨年12月18日に帰天されたペトロ岡田武夫名誉大司教様の追悼ミサがありました。本来なら全国の司教がそろってミサをささげるべきなのでしょうが、コロナの感染を避けて、菊地大司教様と教皇大使の参事官それに元補佐司教だった幸田司教様の司式でミサが捧げられました。

参列者は教区・修道会・宣教会の司祭と岡田師の親族と小教区代表者だけでした。ミサ後、献花式があって多くの信徒が岡田名誉大司教様に花を捧げました。

幸田司教様は「7年間、補佐司教として大司教様を支え、共に教区のため、信徒のために働くことが出来たことを感謝しています。岡田大司教様はよく祈る方でした。司教館の聖堂で、一人何時間も祈っておられました。忘れられません。」と説教の中で心をこめて話されました。私たちには、「引退したら今まで読めなかった本を思いっきり読んで、たくさん本を書きたい」とおっしゃっていました。

ご冥福をお祈りいたします。

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