主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)

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「ただいまー」と大きな声で言いたいところですが、身体の調子はまだ半分の状態です。上の骨と下の骨がぶつかってできる痛みは膝の手術で解消しました。大きな手術でしたので、少し違和感が残っていますが、問題の痛みはもうありません。骨の先に金属の人工関節をうめたのですから、神経が触れ合うことはないのです。

ただ、無理をかけた右足の神経が痛んでいるのが今の悩みです。本来なら、すたすた歩くことが出来るはずなのに、充分に歩くことが出来ません。これからの課題です。

入院中、嬉しいことが沢山ありました。第一は、なんといっても、左膝の手術が成功したことです。一年近く、手術をしないで、膝痛からのがれる道はないものかと努力しました。それぞれ、効果はありましたが、結局、根本的の解決の道は手術でした。又、いい先生、いい病院に恵まれました。多くの方々の祈りに支えられて、無事退院の日を迎えることが出来ました。ほんとうにありがとうございます。

入院中、何度も見ながら力をいただいたのは、清瀬教会の信徒の皆さんの霊的花束です。きれいなカードに、捧げて下さった祈りとお名前が印刷されていました。カードの下のほうに「入院中に渡したかったため、間に合わなかった信者さんも多くいますが、ご容赦ください」というメモも入っていました。

いつも、父なる神様から、大きな恵みを頂き、感謝、感謝で生きている私にとっても、具体的なお名前と祈りの入っているカードは、どんなに力強いものかは、説明のしようがありません。手術や神経痛で痛めば痛む程「生きろ、生きろ、元気になれ、元気になれ」と手で支えて下さるのです。教会が、神様が一人一人集めて下さった民の集いであり、その中にイエス様が手を添えて下さっているしるしだと信じています。

さて、久しぶりに長い入院生活をさせて頂いて、いろいろと報告させて頂こうと思います。清瀬は病院の町として、その名が広く知られた歴史があります。その病気は、ハンセン病であり、肺結核です。ハンセン病も肺結核も病気としては、直る病気であり、かかったとしてもほとんどの人は完治して社会に復帰しておられます。その結果、大きな敷地をもった病院は、大きな総合病院として機能しているし、高度な専門病院として社会のニーズに応えています。

かなり名の知られた東京病院、地域のニーズに応えて発展している多摩北部医療センターは、広い土地に植物が繁り、緑の中に建物が包まれている感じです。病室の中で深呼吸がしたくなるような環境です。「病院の町」という言葉がいつの間にか暗いイメージから、明るく爽やかなイメージに変わってしまいました。

清瀬の宣伝はそれくらいにして、入院生活のことを報告しておきます。ご存じの方はそのとおりですが、のんびりしておれない程、規則正しい生活です。朝6時に起床して7時過ぎの朝食まで、検温、脈取り、血中の酸素濃度検査、その他色々と看護師さんの調査に応えなければなりません。それから朝食です。塩分が2.7~2.9グラムという超減塩食です。味のないスカスカ食事です。これになれるのに二、三日はかかるでしょう。一日、リハビリか、小さな散歩しかない生活で、味気のない食事。これが入院生活のレッスンワンです。慣れてくると美味しくなる。私にとって、バランスのとれた最高の食事であり、いつも完食でした。

それから、治療、リハビリ、修道院のような生活が午前午后と続き、多くの方々は9時にお休みになり、10時には消燈で、ナースセンターと廊下、トイレ以外は電気が消えます。病気と闘い、病気を克服して社会に帰るのが入院生活であり、それを保障するのが病院なのです。

ついでという訳でもありませんが、私の病院生活をかいつまんで報告させて頂きます。それは、手術と回復とリハビリでした。手術は2時間半位の時間で、左膝に人工関節を埋め込める手術です。大ベテランの朱先生の執刀ですから間違いありません。病室に帰った時、左足は、パンパンに腫れていました。鉄の板を張ったように重くカチンカチンでした。

それから、連日午前午后リハビリが始まり最後まで続きました。それは、生活の場が二階にあり、合わせて20段の階段を歩いて昇降しなければならないと知らされていたからです。連日のリハビリの大半はその為に使われました。

ミサをしたり、買い物にでるまでには、しばらく不自由な姿を見ていただかなければなりません。そのうち自然に動けるようになると思います。どうぞ、暖かい眼で見ていてください。

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