主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)

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先週の土曜日(13日)の夜、眠りに就こうとしていた時、グラッときました。地震です。すぐにラジオをつけました。5分もしないうちに、「ただいま地震が起きました」。それを繰り返してから、「気象庁によると、震源は福島県沖で、震源の深さは約55キロ、津波の心配はありません」と伝えました。

東京で「ガクン」と感じるくらいですから、福島や宮城では相当の揺れを感じているだろうと思い、福島を中心とした東日本の方々のために祈って眠りに入りました。

翌日の朝刊には、10県で157名のけが人が出たことと、新幹線の全面復旧に10日間はかかると出ていました。そして、その日の夕刊は、常磐自動車道が17日には再開される見通しがついたとありました。かなりの土砂崩れが報じられていたので、ほっとしました。

私は、10年前の東日本大震災勃発以来、「福島民報」という地方紙を購読しています。地震直後、岩手、宮城、福島を、お見舞も兼ねて、この目で見ておこうと歩きました。その時、相馬の道の駅で買った「福島民報」が、とても気に入ったので、それ以来ずっと定期購読しています。郵送なので着くのに二日かかり、二日分まとめて送られてきます。隅から隅まで読ませていただいています。

記事の中で、原発関係は見逃しません。オリンピックが日本で開催されることになった時、当時の安倍首相が言い放った「アンダーコントロール」が、いかに現実から遊離しているか、告発ということではなく、コントロールできていないことが「民報」に綴られていたのです。東日本大震災の復興には国が膨大な予算を計上し、国家事業としていろいろな施設や交通機関が整備されました。しかし、そこに住む人々にとっての肝心なことは後回しされている感は否めません。例えば、田畑や山の除染です。それに、家を失った方々へのケアです。

東日本は、鉄道とか高速自動車道が完備している中通りはともかく、海岸に面している浜通りは一部を除いて後回しにされてきました。それどころか、過疎をいいことにして原発を作ってきました。その尻拭いは、そこで生きてきた人々をゴーストタウンに追い込む結果をもたらしてきたのです。福島民報のような地方紙は、それを鏡に写すように伝えています。今度の地震も、福島民報を見て、しっかり学習したいと思っています。さて、この司祭短信を書いているところへ、16日付の福島民報が配達されてきました。

実際、10年前の大地震規模の大小は別として、はっきり予想されていたことなのです。それは何百年も前から伝えられていたことなのです。地震が来たら、自分で自分を守ること、「津波だー」の「津」の文字を聞いたら、なにもかも置いて、それぞれ高いところに逃げることを教え、伝えられてきました。(「てんでんこ」の教え)

悪夢が現実になりました。大きな津波こそ起きませんでしたが、そのすぐ手前の震度6です。民報は、一面トップで「本県震度6強83人負傷」を報じました。そして「常磐道土砂崩れ復旧続く」と続きました。24面25面は、「住民同士で安否を確認、震災の教訓生かす」と、10年前の大地震に結びつけます。

東日本大震災から10年、あまりにも大きな犠牲なので、表面上、復興の形はできていますが、肝心なことは何一つ片付いてはいないと言っても過言ではありません。

地震の原因の究明はかなり進んでいて、日本だけではなく太平洋に面している何十という国の共同研究が実を結んでいると新聞で読んだことがあります。日本列島の太平洋岸は、一定の周期で大きな地震の襲来を覚悟しておかねばならないということです。よくわかりませんが、地底何十キロのところで、地層が擦れ合っているというような説明です。

東日本大震災前に、福島県を国道6号線で北上したことがあります。田園、山林、海岸の景色が素晴らしく、多少不便なことがあっても、暮らしやすい、いいところだなーと思いました。ところが、大震災後、そこは死の国になっていました。近年、少しずつ街の姿を取り戻しつつあるようですが、形はできても人がいません。ですから、今度の福島沖を震源とした地震は、どれほど人の心に大きなダメージを与えたことでしょう。それを思うと、言葉を失ってしまいます。

「でも」と思い直します。私には、茨城、福島、宮城、岩手、青森の浜通りの方々は、山の幸、田畑の幸、海の幸を知っているという変な確信があります。都会志向と言われている若い人たちが、農業・漁業を学び、地に根ざした取り組みを行っていることが、福島民報に溢れるほど報告されています。私は東京の片隅から、ささやかなエールを送っています。頑張れ、東日本。

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