主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)

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清瀬教会に赴任して、すぐ探したのはポストでした。誰だったかは忘れてしまいましたけど、「近くの郵便ポストは、どこですか」と尋ねたら、「教会の門を出て左に行くと団地の角にありますよ。」と教えてくれました。後で、行ってみると、まさしく「すぐそば」でした。数えたことはありませんが、数十歩の距離です。「よかった」と思いました。

たまに、返事を書くのを忘れることがありますので、言いづらいのですが、だいたい、手紙やハガキを頂くと、すぐか、二、三日のうちに返事を書くようにしています。私は今、ほとんど、メールを使いません。以前は、少し使っていました。しかし、年を取るに従って、手書きで返事を書くようになり、今では、ほぼ完全にアナログ派の一員になっています。

手紙は大変です。書き始めて、よく見ると、自分でも情けなくなるほど字が下手です。ミミズが這っているような字と文体です。恥ずかしくなるような字が並んでいます。それに、お恥ずかしいことですが、漢字が正確に書けないことがあります。すぐに辞書を引いて書いていますが、めんどうくさい時は、仮名で書いてしまいます。筆ペンを使う時は、便箋の罫線に収まらなくなり、難しい漢字になると、罫線を大幅にはみ出すこともあります。

仕事柄というか、立場上というか、郵便物を結構いただきます。教会のいろんな書類や手続きなどの返事は割と簡単です。書式が決まっている場合が多いので、日時と名前を書き込んで教会印を押せば済むようなものも、かなりあります。問題は、久しぶりの近況報告や、相談事です。近況報告には、こちらの近況も多少書かなければなりませんし、相談事は、書きようによっては責任問題に発展する場合もありますので慎重を期します。失敗したことがたくさんあります。「神父さんのおっしゃるとおりにしますので」なんて書かれたら、なんにも書けないことが多いです。かろうじて、幾つかの選択肢を参考にあげて、「あとはご自分で決めなさい」と付け加えます。

一応、ハガキできたらハガキで返し、手紙できたら手紙で返すのを原則にしています。ただ年賀状には返事を書きませんし、この所、何年も年賀状を書いていません。にもかかわらず、家族の写真や、成長した子供の写真入りの年賀状は嬉しい便りですから、返事を書いたりします。絵葉書でくださる方には、なるべく絵葉書で返しています。ですから、いろんな絵葉書を用意しています。と言っても、わずか2〜30枚のことですが。

さて、来ない日もありますが、教会宛か個人宛に毎日、郵便物がやってきます。広告のダイレクトメールや信徒宛のものはともかくとして、すべて私が開封します。単なる広告や押し売り系のものは廃棄しますが、返事をした方がいいものには、返事をします。特に、司祭個人に来たもので返事をすべきものには、きちんと返事をします。つまり手紙で応える流儀です。大変です。

だいたいボールペンを使いますが、筆ペンも使います。これが大変です。上手く書こうなんて考えたら書けませんので、その場でさっさと書きます。こちらの気持ちや思いが伝わりさえすればいいわけですから、肩の力を抜いてさっさと書きます。時によっては3通4通と書きますので、走り書きになることもあります。

手紙のことで、いつも思い出すのは大阪教区の故田口大司教様です。話によれば、頂いた手紙に返事を欠かさない方で、時には、10通以上の手紙を書いておられたとのことです。もう一人は、今年101歳を迎えられた澤田和夫神父様です。若い頃、思いがけない時に葉書が届いていました。そこには、心に響く言葉が、一行か二行書かれていました。ある集まりでそのことを話したところ、「私も、私も」と言って、ほぼ半分近くの方々が「沢神」からハガキを頂いていました。神父様は、何か国かの外国語に精通しておられますが、日本語の達人でもあります。その、細やかな気遣いで、どれほどの方が生きる力をいただいたことでしょう。

さて、「昔手紙、今メール」と言われるくらい、もっと言えば、「昔メール、今ラインということになるのでしょうか。スマホの発展は、驚くほどです。それは年齢を超えています。孫の顔見たさに、60代70代の方々が、スマホを使いこなして、情報をやり取りしてらっしゃいます。「見てください。うちの初孫の顔」と言って、楽しそうに携帯電話をかざして見せてくださる方が、少なからずいらっしゃいます。孫だけではなく、わんちゃんやねこちゃんも綺麗に写っています。スマホの操作も身についていて、何枚も見せてくださいます。もうアルバムは、必要ありません。この数年で、時代が変わりました。そんな中で、私は、アナログ派の一員として、今まで通り、手書きで、手紙の返事を書いて行こうと思っています。

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