主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)

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手を動かしている時、あるいは、何か考え事をしている時、無意識のうちに出てくるもの、それは歌です。私はいつも歌を口ずさんでいます。決まった歌ではなく、ともかく頭の中に浮かび流れる歌です。それは、多分、母のお腹にいた頃から始まっていたと思います。思い出せば、母は、いつも歌を口ずさんでいました。洗濯をしながら、食事の支度をしながら、リズムをとるように歌っていました。

「はーなも、あらしも、ふみこえてゆくがおとこのいきるみち、なあいてくれるな、ほろほろどりよ、つきのひえいを、ひとーり、ゆーく」。これを読んで、メロディーが出てくる方は、おそらく70歳を超えている方でしょう。「あかいはなならまんじゅしゃげ、おらんだやしきに、あめがふる、ぬれてないてる、じゃがたらおはる・・・」もそうです。

母の口から流れていた歌が私の頭に残っているから、何かの拍子に私の口から出てくるのでしょう。それだけではありません。小学生の頃、ラジオから流れていた歌謡曲や童謡も脳のひだに収まっています。「月の砂漠」「船頭小唄」「浜辺の歌」等々、限りありません。ちゃんと歌えと言われても歌えない曲が断片的に出てきます。

小学生の頃は東海林太郎や藤山一郎が現役でした。テレビ放送が始まり、力道山の空手チョップを見た頃は、三橋美智也や春日八郎が真面目そうに歌う姿が画面に出ていたような記憶があります。着流し姿やマドロスさんの出で立ちです。でも、歌の主流はラジオで、日曜日の昼12時のニュースの後に始まる「素人のど自慢」が始まると、何があってもラジオの前に座っていました。今のように25名だけというわけではなく、50人以上の人が歌うのですから大変です。「ハーレタソラー、ソーヨグカゼ~」位で鐘が「カーン」となって「次の方どうぞ」ということが、しばしばありました。「ハーレタソラー」だけではなく、ほんの少し歌って「どうぞ次の方」と言われる曲に、「こよなく晴れた青空を〜」もありました。それが長崎の鐘です。永井 隆博士家族を描いた歌です。

「長崎の鐘」が、サトウハチローの作詞であることを知ったのは、東京に来てからで、しかも1番から4番まであって、内容が聖歌に近いものであることを知ったのは、多分、洗礼を受けてからだったと思います。よく歌いました。また、いろんな機会に、歌わされました。喜んで歌いました。

ついでですから、詩の全部を紹介させていただきます。

 

 こよなく晴れた青空を、
 悲しと思う切なさよ
 うねりの波の、人の世に
 はかなく生きる 野の花よ
 慰め、はげまし、長崎の、ああー長崎の鐘が鳴る。

 召されて妻は天国へ
 別れて一人 旅立ちぬ
 形見に残るロザリオの
 鎖に 白き わが涙
 慰め、はげまし、長崎の、ああー長崎の鐘が鳴る。

 つぶやく雨のミサの声
 たたえる風の 神の歌
 かがやく胸の 十字架に
 ほほえむ海の雲の色
 慰め、はげまし、長崎の、ああー長崎の鐘が鳴る。

 心の罪をうちあけて
 更け行く夜の月すみぬ
 貧しき家の柱にも
 気高く白き マリア様
 慰め、はげまし、長崎の、ああー長崎の鐘が鳴る。

 

当時、NHKラジオの「素人のど自慢」で、その歌の一番を全部歌い、二番を終りまで歌ったら合格の鐘がカンカンカーンとなって合格おめでとうでした。実は、この番組は、プロの歌手になる登竜門にもなっており、そこから、地区大会、全国大会と進んで、優勝した者がレコード会社と契約して、プロ歌手へ踏み出していたのです。

その頃、「長崎の鐘」は、何千人という歌手志望者に歌われたに違いありません。つまり、日本中に鐘の音(ね)が流れていたということでしょうね。そう思うとなんとなく嬉しくなってきます。何しろ、歌手志望者は、必ず4番まで覚えて歌っていたでしょうから。いい歌詞ですよね。

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