主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)

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先週、嬉しいメールが届きました。橋本さんからです。橋本さんといっても、どの橋本さんでしょうと思われるでしょうね。本来なら、今年の復活祭(4月11日夜か12日)に清瀬教会で洗礼を受けるはずだった橋本さんのことです。現実には、復活祭に受けることができず、約二ヶ月後の7月5日の日曜日に、参加者が少ない中で4人の仲間と一緒にお受けになりました。コロナ禍の中の異例な洗礼式でした。いつもなら、洗礼式が終わってから、信徒ホールでお祝い会をして、喜びを分かち合うのですが、今年はそれもなく、聖堂で記念写真を撮って、そのままの解散でした。これも記念話の一つになるでしょうといってお別れしたのです。

橋本さんは、千葉県我孫子(あびこ)市在住の方です。洗礼の準備の勉強に2時間以上の時間をかけて清瀬まで通ってこられました。約二時間の入門講座のために、その倍以上の時間をかけてきておられたのです。いつも、その情熱に、心から感嘆していました。その都度、発せられる鋭い質問に、唸ったり、詰まったり、タジタジでした。それは、私が、世間知らずで、ちゃんとした答えをすることができなかったからです。

実は、橋本さんと私は、面白い関わりがあるのです。話は、約60年前に遡ります。二人共カテドラルの近くにある学生寮に新入生として入り、4年間、同じ釜の飯を食っていた仲だったのです。卒業する年が、忘れもしない、東京オリンピックの年でした。その4年間のうちに、私は。ひょんなことから、カトリックの洗礼を受け、司祭への道を辿り、橋本さんは、企業人の道に進み、社会人として、また、家庭人として、人生を完成してこられたのです。それだけではなく、学生寮時代の同級生の絆を大切にし、交流の場を絶やさないよう情熱を捧げ尽くしてこられました。実は、60年経って、洗礼の恵みを得られたのは、その努力に、父なる神が報いてくださったと言ってもいいくらいです。

橋本さんを語るのに、どうしても、語り加えなければならないのは、奥さんの悦子さんです。カトリックの世界では「夫婦は結婚によって断つことのできない絆で結ばれ、二人は一体となる」と教えています。通ってくださるお二人を見、苦労話の一端を耳にした時、「カトリック教会の結婚観をそのまま生きてこられたんだなー」と思うことが何度もありました。お二人の結婚は、受洗によって、カトリック教会で言う秘跡になりました。ありきたりの言い方ですが、本当にいい夫婦です。

さて、カトリック教会は、このコロナ禍の世界で、解体さえ考えさせるような衝撃を受けています。何をおいてもまずミサ聖祭、というカトリック教会から、ミサに制限が加えられました。感染の主原因である「三密」を避けるためです。毎週、毎朝、人(信徒、求道者)が聖堂の中にびっしり入って、「祈り、歌い、食べ」をやっているのですから、そのまま続けていたら、クラスターがあちこちで起こるのは避けられなかったでしょう。ですから、ミサが中止となり、集まりも「三密」を避けることが絶対条件となりました。高齢者にも厳しい足止めが言い渡されました。つい最近、緩和の方向性が指示されていますが、決して気を緩めてはならないという条件付きです。

その影響を、橋本夫妻は、まともに受ける羽目になりました。清瀬教会の籍のまま、我孫子の近くの松戸教会に転出もできず、年齢制限から、ミサに出席することもできず、ネットで流れているミサを見ながら、事態が好転するのを、忍の一字で待っておられたようです。そして、先週やっと、光が差し込みました。教区の通達で、ミサ出席の年齢制限が大幅に緩和されたのです。 早速、報告メールが届きました。「本日16時から、75歳以上者もミサ参加できることになり、二人で初参加させていただきました。いいお話も聞かせていただきました。いよいよこれからです。」一つ一つの言葉に喜びが溢れています。ご存知のように、松戸の主任司祭は、伊藤淳神父さんです。

さて、橋本さんが勉強に通っておられる時、お墓の話をしてくださいました。

「墓は、実家や子供達を気にせずに、自分たちが生きてきた印として、残せるものを建てたい」という思いで、いいところ探していました。実は、つい最近、いい所が見つかって建てているんです。チャンスがあったら話そうと思っていました、という話でした。そして、バッグの奥から写真を取り出して見せてくださいました。見てびっくりしました。なんと、お墓に刻まれた文字は「道」だったのです。ヨハネ福音書の一節「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父の元には行けない。」(14章6節)が、選ばれていたのです。「二人で話しているうちに、なんとなく、決まりました。」ということは、洗礼を受けるずっと前から、受洗への道を歩んでおられたとしか思えません。私は、涙が出るほど感動しました。考えてみると、あの学生寮に入った時から、何もかも、神様が仕組んでおられたような感じです。その学生寮は今も健在で、名前は「和敬塾」と言います。時代の流れに沿って、一部変わった部分もありますが、大体昔のままです。60年前が、昨日のように浮かんできます。

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