主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)

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先週の水曜日(2日)、故セシリア佐竹芙美子さんの葬儀がありました。午後、夕立があるようなお天気情報でしたので、少し心配していましたが、大丈夫でした。とはいえ、火葬中に、バケツをひっくり返すような夕立が二度ほどありました。しかし、骨上げが終って教会に帰る頃は、すっかり晴れていました。実にタイミングのいい夕立でした。

さて、芙美子さんがお亡くなりになられたのは、先月の27日でした。すぐに、ご主人の高明さんから教会に連絡がありました。気温が連日30度を越していましたので、1日でも早く棺に納めて頂きたいと葬儀屋さんから要請があったとのこと。それならと受けて、翌日、夕方、ご自宅で納棺式をすることにしました。

納棺式は、ただ、ご遺体を棺に入れるという作業ではありません。少なくとも、亡くなられた方が、葬儀までの何日かを過ごす館(やかた)に移っていただくための儀式です。カトリック葬儀の儀式書でも典礼として指示されています。お祈りの他に散水・献香が入っています。私一人ではどうしようもないので、5地区の世話人の方に車を出してもらい、教会委員さんに声をかけて三人で南沢の佐竹家に出かけました。もちろん、必要な典礼用品を全部揃えてです。お二人には、納棺式の時も手伝っていただきました。本当に助かりました。

家族全員と葬儀社の方が待っていてくださって、納棺式は無事終了しました。芙美子さんは、3年の闘病生活を戦い抜き、話に聞いていたふくよかさは、エネルギーとして使い切り、細い姿になっておられました。でも、棺に安置された姿は、思いなしか、ホッとしておられる印象を受けました。式後、居間で、お茶をいただきましたが、ご家族の皆さん、どのお顔も、神様の元へ旅立たれたお母さんに「ご苦労さまでした」と、おっしゃっておられるようでした。

日曜日(30日)の夕方、葬儀の打ち合わせをしました。そして、葬儀のことを決めました。時期も時期だし、不公平があってはいけないので、家族だけで執り行うことにしました。日時は9月2日午後12時30分となり、火葬は多磨霊園葬祭場となりました。

葬儀ミサは、お知らせ通り、お身内の方と少数の信徒で行われました。私は、説教で、テモテの第二の手紙4章7節を贈りました。「戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走り通し、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。」芙美子さんの歩まれて来た道を、いろんな方からお聞きして、この聖句を思い出したのです。

火葬場で、骨上げを待つ間の約1時間、お茶と軽食をいただきながら、家族と親族の方々の明るい談笑は、賑やかなものでした。そこで感じたことは、三人のお孫さんが、おばあちゃんの事をとても大事にしているということです。

「そんなことを言うとおばあちゃんに叱られるぞ」と言っているのです。おばあちゃんの生き方をよく掴んでいるようです。それは、「前向きに生きること、何か使命を感じたらやってみること、労を惜しまないこと、なんでも一生懸命やること」等です。どうやら、芙美子さんは、背中で、孫たちに生き方を教えていたようです。三人のお孫さんの会話の中にそれを感じました。ある面で、それこそ教育の原点かもしれません。

お葬式や結婚式、いわゆる、冠婚葬祭は、その家族の方々と親しくお話ができるチャンスです。直接、お話ができるというわけでもありませんが、じっと座っていて会話を耳にしているだけで、なるほどと思うことが多々あります。

葬儀に関しては、お見舞い、病者の塗油の秘跡から始まって、納棺の儀、通夜、葬儀ミサ、告別式、火葬、納骨式まで何回もお会いすることになりますので、いろんなことを教えていただきます。今回も、ほんの短い時間の中で、貴重なことを教えていただきました。三人のお孫さんの成長が楽しみです。

面白いことがありました。1日(火曜日)の午後、車で東久留米市浅間町の信者さん宅にご聖体を届けに行きました。その帰りです。途中、南沢の交番前を通り過ぎようとしました。南沢と言うと、佐竹さんのお宅があるところです。なんだか、芙美子さんに会いたくなって車を止めました。交番で、佐竹さんへの道順を聞きました。お巡りさんは、親切に教えてくださいました。でも一回でわかるようなところではありません。南沢は広いところです。途中、何回も車を止めては聞きました。そして、約30分後、確かに、佐竹さんのお宅の高い壁の横に車を止めることができました。佐竹さんは「納棺式と、今日で二回来てくださいました。」と言って喜んでくださいました。私としても、慌ただしい葬儀の前に、ゆっくり、芙美子さんに会えてよかったです。

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