主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)

IMG_2082 コピー

ある信者さんの話。「ちょっと熱っぽい、ひょっとしたら、コロナにかかったか」と思う。大変なことになってしまう。急いで体温計を出して、測ってみる。37度3分。微妙。家族に話してみて、「大丈夫、大丈夫」と言われても、気が晴れない。翌日、熱は引いているようだけど、心配が残る。とにかく、かかりつけの病院に行ってみてもらう。「コロナを心配したんでしょう。大丈夫ですよ」と言われて、ホッとしました。なんでもない話ですが、私たちは、どこかで、コロナ恐怖症にかかっています。熱が出ると、コロナに直結してしまいます。

そうなんです。私たちは、今、新型コロナウィルスにさらされて生きているのです。何一つ不自由のない生活をしていると思われている方が、突如、37度8分の熱を出し、病院に行って慎重に診断を受け、新型コロナに感染していると宣言され、手を尽くして治療してもらってもどんどん進み、あっという間に亡くなってしまわれたとニュースで知って、ショックを受けました。

報道で、「新型コロナは、怖いです。本当に怖いです。みなさん気をつけてください。」とおっしゃっているご遺族の言葉に、改めてショックを受けました。私たちにできることは、丁寧に、こまめに、手洗いをする。マスクを常用し、人のいるところには、なるべく近づかない。きちんと食べて、抵抗力をつけておく。その単純なことが、自分を守ってゆく道であり、家族、友人、を含めて、人を守ることに通じるのです。つい、自分は大丈夫と思ってしまいがちですが、大丈夫と思って、気を抜いていると、コロナに付け込まれると言っても過言ではありません。

ところで、いつも新聞を見て、見逃さないようにしているのは、清瀬と東久留米、それに新座の感染者数です。特に気になるのは、私が住んでいる清瀬市です。人口は74,658名です。最近まで感染者数は7名でした。先週、11名に増えました。不気味な数字です。12人目が自分になるかもしれません。神経質になってもいけませんが、ついついそう思ってしまいがちです。

私たちは、新型コロナのウィルスの中で暮らしているようなものです。ちょっと大げさな言い方かもしれませんが、ちょっとでも、抵抗力が枯渇したら、その隙間を狙って、侵入してくる状態の中で生活しているのが私たちの置かれている現実です。

それでは、私たちがなぜコロナウィルスの侵食を食い止めているかといえば、マスク、うがい、手洗い消毒、それに、ウィルスに付け込む隙を与えない身体の抵抗力をつけているからだと思います。つまり、それだけ、めいめいが気をつけているということです。うがい、手洗い、マスク、だけではなく、身体にいいものを食べ、体力をつける努力を怠っていないことの証(あかし)だと思います。

体温が37度5分になった信者さんが、「教会に迷惑をかけたくないと思ったので・・・」とおっしゃったのを聞いて、その方の教会に対する愛を強く感じました。確かに、どの信者さんも、感染して、陽性反応が出たら、教会がターゲットになるとうすうす分かっておられると思います。「集まる、歌う、大きな声で唱える、食べる」どれを取っても、感染の原因になることを堂々とやっているのですから。だからこそ、公開ミサを中止しているのです。教会の命ともいうべきミサの中止を決断された司教様の気持ちを察して胸が痛くなります。

新型コロナの感染源にならないように、日曜日(主日)の公開ミサを、約二ヶ月中止して、個人差はあるでしょうけど、信者さんの我慢も限界に達していると思います。ぼちぼち、政府の言う「三密」(密閉・密集・密接)を避けて、気をつけながら工夫して行うのであるなら、日曜日のミサを実施してもいいのではないかという意見が出ていることは確かです。民の声です。

教会は、復活祭を頂点にして、年間の行事が組まれています。いま、新型コロナのために、全てが中断している状態です。人命に関わることなので仕方がありません。しかし、中断は、それが果てしなく続くと、エネルギーの枯渇になりかねません。なかなか難しい課題なのかもしれませんが、「三密」を避け、ソーシャル・ディスタンスを取りながら、主が「取って食べよ」とご自分を差し出されたご聖体を頂く時がやってきたのかもしれませんね。

795316b92fc766b0181f6fef074f03fa-2