主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)

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先々週の土曜日、3月21日、宮城まり子さんが都内の病院で亡くなられました。93歳でした。私はそのことを新聞で知っただけですが、小さな思い出がありますのでしばし手を休めてお祈りしました。出てくる言葉はただ一つ「ご苦労様でした」でした。心を込めて、そう申し上げました。

思い出は50年も前に遡ります。まだ神学生で練馬の神学校に在籍していた頃の話です。今でも秋分の日に神学校で「神学院祭」(ザビエル祭)が行われていますが、その頃もやっていました。

実はその昔、守護の聖人フランシスコ・ザビエルの祝日に神学生が出し物(芝居や歌)を披露し、ちょっとしたご馳走が出て楽しんでいた伝統があったのです。しかし、いつの間にか途切れていたのを復活させてオープンハウス形式のお祭りを始めて間のない頃でした。せっかくだから名の通っている方をお呼びしてお話ししていただこうということになり、ひょんなことから宮城さんをお招きしたのでした。

宮城さんは女優であり有名な歌手でもありましたが、交渉したら行ってもいいとの返事をいただき、神学生が何人かで上野毛のご自宅に伺ったのです。門からかなり歩いてたどり着いた感じの玄関には、吉行淳之介の表札がかかっていたので「どきっ」としました。「ごめんください」という声に答えて宮城さんが温かく迎えてくださり、話を聞いてくださいました。

化粧を落としてはいるけど、現役の女優さんで綺麗な方でした。話は主に、静岡県浜岡市郊外に設立して間のない「ねむの木学園」のことでした。脳性麻痺の子たちを中心とした施設です。目をキラキラさせながら「素晴らしいのよ。どの子も計り知れない才能を持っているの。持っているというより、神様が与えてくださっているの。神様って本当に素晴らしい方ですね。私は子供達が頂いている才能を思いっきり出すようにお手伝いしているの」と、情熱的に話されるのを、聞き入っていました。

その後、是非いらっしゃいと誘われて、学園にも行きました。ホールや廊下にかかっている絵は、本当にこの子たちが描いたのかと思うほど大胆で迫力があり、手の込んだものばかりでした。「優しく、手伝うの」という宮城さんの言葉には、子供達一人一人に与えられた感性を引き出し形にしてゆく、想像を絶する執念が込められていたと思います。

「本当は、障害を持った子供には、一人につき4人から5人の大人がつかなければならないの。それも、じっと、付き添いながら、支えてあげなければならないの。だから本当にやさしい人が欲しいの。」宮城さんの言葉には胸を打たれるばかりでした。そのためか、学園にはたくさんの職員の方がいました。子供の人数より多い大人がついている印象でした。

園長として、職員にただ一つの言葉が与えられているようでした。それは、「やさしくしてあげてね」だったと記憶しています。そのルーツは、宮城さんが受けたお母さんの教育だったのです。そのようなお話をされていたよう記憶しています。

神学院祭に来ていただいたことがきっかけで、宮城さんから「会いたい」という要請がありお会いしたことがあります。それは、神学生の中で「学園で働いてくださる方はいないか」というお誘いでした。神学生がお気にめされたようでした。実習ということではなく職員としてのお誘いだったと思います。お応えすることができなくて申し訳ありませんでしたが、嬉しいお誘いでした。

時々、テレビで宮城さんのことが報じられて、画面をとおして年を重ねられた姿を拝見することがありましたが、その言葉といい、優しい眼は、ちっとも変わっていないなーと思うばかりでした。いつの間にか93歳になっておられたのです。宮城さんをお母さんと思って頼りにしていた方々のお気持ちは察して余りがあります。でも多分、宮城さんの無邪気さと優しさは受け継がれてゆくでしょう。「やさしくね、やさしくね。やさしさは、無限の力ですよ」という言葉とともに。

ご冥福をお祈りいたします。

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