主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)

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コロナウィルス対策として、公開ミサが中止になり教会が寂しくなりました。日曜日、つまり主日のミサがない教会は、まるで抜け殻のようにガランとしています。しかし、ご聖櫃にはご聖体がありイエス様がいらっしゃいます。ですから聖体訪問にいらっしゃる方があって、聖堂が祈りの家として、お役に立っています。私が聖堂にいる時は、押し付けにならない程度に「ご聖体をいただきますか?」と、小声で聞きます。ほとんどは「いただきます」とおっしゃいます。

信者が集まる公開のごミサはありませんが、非公開のミサは毎日行われています。司祭、つまり私が一人で捧げるミサです。場所は典礼準備室(香部屋)です。時間は朝8時です。8時には、主日も週日も、特別なことがない限り、ミサが捧げられています。わずかの方々ですがミサが捧げられているあいだ聖堂でお祈りをしていて、ミサが終わったあとでご聖体を拝領されます。この非公開ミサは余程なことがない限り行うつもりです。もともと「会衆が集まったら、司祭が司式して」はじめられるのがミサなので、会衆なしのミサはミサと言えるかどうかわかりません。しかしながら、ミサを捧げてその中で今生きている人、すでに命を終えて父なる神のもとに帰っている方々のために祈ることは、ミサの持っている大きな意味です。

私はミサを捧げながら、具体的に祈りを必要としている方々のために祈ります。本来なら、そばに行って、声をかけたりご聖体を届けたりするはずの方のために、ご聖体のイエス様に「よろしくお願いいたします」と祈ります。それから、すでに父なる神のみもとに帰られた方々のために祈ります。つまり追悼です。

追悼は、ミサの中の大きな役割です。私は、頼まれなくても勝手にその方々を思い起こし追悼しています。例えば司祭のためです。特に、東京教区の教区司祭の帰天者です。 毎年年末に教区事務局から、帰天した教区司祭の名簿が渡されます。月別になっていて、1月から12月まで、何月何日にどの司祭が亡くなったかが分かるようになっています。しかも、霊名、生年月日、叙階年月日、帰天された日、そして年齢まで一目で分かる便利な名簿です。 名簿に記載されているのは、89名の神父様司教様がたです。古くは、1906年(明治39年)に、77歳で亡くなられた、パリ外国宣教会のオズーフ師、最近では、一昨年11月21日に亡くなられた藤岡和滋師が記載されています。来月4日に納骨式が行われる予定の市川裕師、田中康晴師は、今年末に配布される名簿に記載されるでしょう。まだ100名足らずですので、毎日というわけではありません。でも、一週間の間に、何名かの司祭の命日を見つけて、追悼します。 今までは前日に名簿を見て、翌日のミサに備えて小さな紙に霊名とお名前を書いておいて、ミサの中の追悼するところで呼んでいました。最近、名簿を見なくてもいい方法を見つけました。清瀬教会の信者さんで、小さい頃から書道をやってこられた方に頼んで、ハガキ大のカードに霊名・お名前・帰天日と年齢を書いていただきました。それを祭壇の上に置いて、呼ばせていただいています。そのカードは、毛筆で心を込めて書いてくださっているので、まるで位牌のような感じがして、私にとってかけがえのない宝です。

先週は、水曜日にステファノ戸塚 寿(ひさし)神父さんを追悼しました。1945年3月18日に33歳で亡くなられています。32歳の3月に叙階され1年後に帰天されているわけです。戸塚神父さんのために祈りながら、どんなお気持ちだっただろうかと思いを馳せました。

さて、公開のミサは、コロナの勢いを見計らって、慎重にも慎重を重ねて実施されようとしています。何しろ、人が集まり教会によっては満員電車のようになるわけですから、司教様もその対策に苦慮されています。私たちも指示に従いながらも、祈って行かなければなりません。全てを作り全てを支配されている父なる神の導きに全てを委ね、出来うる最善なことを見出し実行していきましょう。父なる神は、すべてさらに良きことのために私たちに試練を与えてくださいます。

「父なる神よ、私たちを試みに引き給わず悪からお救いください。」と、心から祈ります。

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