主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)

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東日本大震災発生から9年経ち、改めて原発廃炉を含めて、傷の深さを再認識させられました。復興、復興と文字は踊っていますが、現実は被災状態の解決には程遠いことを知らされるばかりです。

その上、新型コロナウイルスの感染は拡大の一途をたどり、収束の道が見えません。パンデミック(世界的拡大)の可能性さえありうると、公的機関が漏らし始めているのをラジオで耳にすると、「一体、どうなるのだろう」不安になってきます。とはいえ、人類がいかなる困難にも果敢に挑戦して解決してきた歴史を、多少学んでおりますので、心底心配していませんし、できることをさせていただこうと思っています。どういう状態でも、神様が解決の道を絶えず教えてくださると信じています。

さて、今気にかかっていることは、2016年7月に相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた事件の公判のことです。横浜地裁で裁判員裁判が続けられ、いよいよ16日に判決が言い渡されます。何しろ、夜中の短時間で死者19名を含む計45名が殺傷された事件です。

2月12日の公判で、被害者家族らが死刑判決を求め、17日に検察側が死刑を求刑している裁判ですから、3月16日に言い渡される判決は目に見えていると言っても過言ではありません。

「対話能力のない障害を持っているものは、地上から消した方が良い。それが社会の役に立つことだと思う。」という主張を崩さない犯人は、自ら刑事的責任能力はあると言い張り、弁護側の「大麻を常用していて、責任能力がない」という弁護主張を否定している確信犯です。16日判決に対して、被告が控訴しない意向を示しているので、そのまま結審するでしょう。死刑です。

家族を殺傷された側、つまり、障害を持っていることを理由に、命を奪われたり、傷つけられた方の家族の方々は、死刑でも足りないくらいの怒りと憎しみを抱いておられることでしょう。殺された娘の実名を明らかにし、公判中、「私たちの家族、美帆を返して」と叫び続けたお母さんの声とお気持ちがそのまま胸に響いてくるような気がします。

すでに実名が公表されている植松 聖被告は、「少し個性の強さを持っていたけど、ごく普通の少年だった」ということです。大学を卒業して、障害者施設で働くようになってから、突飛なことを言うようになった。「意思疎通が取れない人間は、安楽死させるべきだ」という言葉に代表される考えと言動です。施設での仕事が、障害を持った方々との意思疎通を向上させるチャンスにならなくて、むしろ、怒りが進んでいったと説明されています。殺すしか方法はない、それが社会のためだと思い込むに至ったのだと。

これだけ殺したのだから死刑は免れないというのが、罪刑法定主義の論法です。つまり、刑の重さを犯した罪で決めるということです。裁判で検事側と弁護側がやりあって、判事が裁定を下す、被告はその裁定に従う、結果、死刑という殺人がまかり通るやり方です。死刑囚となった犯罪人は、毎日、法務大臣の死刑執行の命令を、今か今かと怯えている状態で生きてゆくわけです。この、不毛な残酷状態にストップをかけようとしているのが死刑制度廃止論です。それは、「今すぐにでも死刑にしてもらいたい」という被害者家族の気持ちに逆らう制度です。「津久井やまゆり園」の殺傷事件とその裁判は、大きな課題を私たちに与えているような気がしてなりません。

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