主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)

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3月に入りました。気が付いたら、梅や菜の花が咲いて、春の到来を告げてくれています。教会の桜も、日を追うごとに、枝の先が小さく膨らみ、枯れ枝ではなくなってきています。

公園や墓地、それに、近くにある畑を見ると、草取りが始まっているのに気づきます。草取りが始まっていると聞いてもピンとこないかもしれませんが、実は、この時期が、草取りの好機なのです。せっかく芽を出し、葉を伸ばし、花のつぼみが膨らみ、花を咲かせようとしているからです。草によっては、花が満開になっていて、受粉を待っているのもあります。つまり、雑草にとっては、待っていた春が来ているのです。その為に、公園や、墓地、畑で、草取りが始まっているというわけです。

今、芽を出し、茎を伸ばし、葉を広げ、花を咲かせている草は、昨年、取り忘れていた草が、実を落として約半年、春が来るのを待ち、芽を出し、根を伸ばして、水分と栄養を取り込んで、花を咲かせたのです。抜いても抜いても、草が生えてきて、いつの間にか、草でいっぱいになっているのは、種が落ちていたからです。地に落ちた種が、全部、芽を出すわけではありませんが、一本の草が宿す種は、数え切れないくらいですから、その中の強い種が芽を出すということだと思います。

というわけで、公園、墓地、農地、学校、教会は、ほっておくと、すぐに、草ぼうぼうになってしまいます。特に人があまり入らない空き地は、二、三年ほっておくと、いつの間にか人の背丈ほどの雑草で埋まってしまいます。そして周りの空き地に種を振りまき、そこも草ぼうぼうにしてしまうのです。一方、草ぼうぼうが、いい結果を出しているところもあります。その一例は、高山です。標高二千メートル級の高山で、自然環境の厳しい条件をはねのけて、強い野草が生き残り、春になると、その野生の花で埋め尽くされ、お花畑という名所になっているところです。登山家たちは、そのお花畑を見るのが一つの楽しみなのです。

清瀬教会は、聖堂、信徒会館、倉庫とアスファルトで舗装された部分が敷地の大きな部分を占めていますが、そうでないところもかなり残されていて、花畑や緑地帯になっています。大きな桜の木は、教会のシンボル的存在で、隠れた「お花見どころ」とも言われています。その他の部分は、マリア像の前のお花畑や、小さな畑として使われています。そして、そのほかに建物の周りに空き地があり、木が植えられていたり空き地になっていたりしています。それは、木々の下や、塀と建物に挟まれた空地です。そこまで手が回らないということも事実ですが、そこが雑草の活躍地帯になっているのです。実は、その部分は、教会を絵に例えたら、額縁に当たるところで、そこまで手が回らないと言ってはおれないところなのです。

「草、十本、お願いします」の呼びかけで、かなりの草が抜き取られました。暑中、黙々と、伸びきった草を引っこ抜いておられる信者さんの姿を、建物の陰に見つけた時は、びっくりするとともに、感動させられました。おかげさまで、少しずつ、雑草がなくなり、教会全体がすっきりしてきたように感じています。今は、雑草があまり目立ちませんので、「草、三本、お願いします」という呼びかけになっています。そのうち、「草、十本、お願いします」になると思います。

ところで、実は、今が草取りの、大切な時期だということを知って頂きたいと思います。教会の敷地を、少し目を凝らしてみてください。びっくりするようなところに、草が生え出ていて、しっかりと伸び始めているのです。葉が10枚ほど着いていて、これからグーンと伸びようとしています。中にはすでに花を咲かせていて、昆虫による受粉を待っているのもあります。当然ながら、しっかりと根を張って、伸びようとしています。幾分伸びた時が草を取るチャンスなのです。残酷のような感じがしますが、今のうちにとっておくと、草ぼうぼうにならないで済みます。そして、今ならとても取りやすいのです。ほっておくと、花が散って、実をつけます。そして、それが地に落ち、梅雨が過ぎて夏になると。芽を出し茎を伸ばして、雑草の絨毯を作ることになるのです。そうなると、雑草を抜くというより、スコップを使って掘り返し、根から取るという面倒な作業になったりします。

一人が五十本取るより、五人が十本取る方が楽です。それより、十人が五本取る方がもっと楽です。つまむように取れば、手もあまり汚れません。これから、草取りの季節がやってきます。よろしくお願いいたします。

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