主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)

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香港やシンガポールの教会で、主日(日曜日)のミサが中止になったというニュースを、新聞で読んで、他人事ではないような印象を持っていたところに、菊地大司教様の東京教区でのミサ中止のファックスが届いて、まず、「やっぱり」という印象を受けました。

新型コロナウイルスによる感染症が、国内外で、感染の一途(いっと)をたどっている中、今後、2〜3週間で収束の見通しが立つかどうか、政府、関係省庁の専門家も、あらゆる手を尽くしながら、見ているのが現状のようです。

今回の、コロナウイルスの感染は、人から人へと広がっていることから、とりあえず、人の集まりを抑えて、感染のチャンスを作らないという方法がとられるのは仕方のないことです。大きな行事の中止、学校単位の休校処置が全国的に広がっています。教会も例外ではありません。大司教様の苦渋の選択は、いい判断だと思います。

それにしても、27日から3月14日まで、17日間のミサを中止するという決断は、「感染リスク」を軽減するために、ここ2〜3週間、あらゆる方法を使ってでも、感染チャンスを作らないようにと、国が、関係省庁を通して自粛を要請していることに共通項があります。それは、コロナウイルスの感染をなんとかして食い止めようという危機感です。

すっかり準備が整って、開催するだけという大規模な行事に対しても、中止の方向か、観客抜きで行うようにと指導がなされています。また、地域によっては、全小中学校の休みも考えられているという記事が新聞に出ていました。

主日のミサ中止のファックスを見たときは、正直、驚きました。東京大司教区のミサ、しかも主日のミサを含めての中止は、大司教様の大きな決断だったでしょう。いろいろ考えた末での決断だったでしょうが、この決断の鍵は、神様に対する深い信頼と、もう一つ「若さ」にあると思います。大胆な政策、驚くほどの決断、客観的で深い洞察には、大きなエネルギーを要します。ミサ中止を伝えるファックスに、「教会の命とも言えるミサの中止を決断することは容易なことではありません」と書いておられます。ぐずぐずしていてはできない決断です。

こんなこと、つまり教区単位でミサを中止することは、初めてだと思います。阪神大震災の時も、東日本大震災の時も、ミサの中止はありませんでした。もちろん事情が全く違いますので、簡単に比較はできません。しかし、教区内、全小教区、全修道院、カトリック系全施設でのミサを中止して、事態に備えることは、記憶にありません。初めての体験をさせていただいています。ミサ中止のファックスを委員長から渡された時、一瞬、ピンときませんでした。しかし、渡されたファックスに目を通して、納得しました。

ファックスの中で、久しぶりに、霊的聖体拝領という言葉を目にしました。この言葉を読んだ時、司教様の気持ちが伝わってきました。できたら、ミサを捧げている映像を用意するから、それを見て、映像の前で祈り、霊的聖体拝領をするようにと勧めてくださっています。私たちは、霊的聖体拝領を通して、コロナウイルスに感染し、苦しんでおられる方々のそばに行き、温かい言葉をかけることができるのです。

ミサのない17日間は、逆に、コロナウイルスの威力を沈め、ワクチンの開発を早め、病勢に打ち勝つ使命を果たしてゆくチャンスと捉えられるのではないでしょうか。司教様も、ファックスの最後の部分で「ミサの中止は、敗北ではなく、祈りの持つ力を改めて認識し、祈りによって霊的に深めるための機会でもあること、また、祈りの力を改めて認識する機会でもあることを心にとめたいと思います。」とおっしゃっています。この2〜3週間で、感染被害が山を越し、収束の途につくことを、切に祈って参りましょう。

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