主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)

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先週の日曜日、10時ミサ後、信徒会館で、私の誕生祝賀会をしてくださいました。それは、年齢が77歳となり、いわゆる喜寿になったから、お祝いをしようということがあったと聞いています。先週の日曜日は19日で、偶然というべきか、私の誕生日が1月19日だったのです。

遡(さかのぼる)こと一週間前、私は、いろんな歌集の目次のコピーを見せられ、この中から、お好みの歌を20から30曲選んでくださいと言われました。私は、すぐに理解しました。お祝いの集まりで歌う歌を選べということだなと。つまり、私の年代の懐かしい歌を、みんなで思いっきり歌おうってわけだったのです。

私は、歌が大好きで、体を動かしている時は、いつも小さな声で歌を歌っています。小さいとき母が歌っていた歌や、ラジオで聞いた唱歌や流行歌がほとんどです。歌手で言ったら、東海林太郎から三橋美智也、それに、歌声喫茶で歌われていたようなものです。

4〜5日したら、カトリック清瀬教会編「懐かしの歌集」が出来上がっていました。見てみると、私が指定した歌ばかり、30曲ほどが楽譜、小さな挿絵付きで出来上がっているではありませんか。こんな嬉しいことってあるでしょうか。

当日(19日)は、驚くことばかりでした。まずは、超がつくほどの大きな花束、そして巨大なデコレーションケーキ、テーブルを埋め尽くすようなご馳走。照れ屋の私は、涙をこらえるのがやっとでした。今でこそ、77歳は、まだ若造でしかないけれど、昔で言ったら、いつ死んでもおかしくない歳です。実際、このまま死んでもいい気持ちになっていました。

「カンパーイ」の後は、まるで歌声喫茶に入ったかのような雰囲気で、「歌集○○ページ」という掛け声のもと、ピアノの伴奏で歌が始まりました。私は、立ったまま、座ることも忘れて歌い続けました。「あざみの歌」「おぼろ月夜」「オールドブラックジョー」「かあさんの歌」「かもめの水兵さん」「北上夜曲」「この広い野原いっぱい」「ゴンドラの唄」「さくら貝のうた」「知床旅情」「船頭小唄」「城ヶ島の雨」「昴」「月の砂漠」「波浮の港」「長崎の鐘」「菩提樹」「浜辺の歌」「椰子の実」「雪の降る街を」「夜明けのうた」「若者たち」そして「ベッサメムーチョ」「ベラザーサンシスタームーン」。最後は、いつものように「長崎の鐘」で締めました。

歌い終わった時は、お腹(なか)がペコペコでした。確か、歌っているあいだ、目の前のご馳走を食べていました。しかし、歌ってるあいだ、歌に夢中で、ちゃんと食べていないので、腹が空いていたのです。テーブルをまとめて、二次会の雰囲気になった時、目の前に置かれた焼きビーフン(米粉)を、飢えたワンちゃんのようにガツガツ食べ、山のような皿をペロリと平らげてしまいました。

身体はクタクタになっていましたけど、心は満杯に満たされていました。みんなが元気にグラスを干しているというのに、私は、人に話も聞かず、半分寝ていました。「神父さん、どうぞおやすみください」と言われて、二階の司祭室にあがりました。

前日の晩、「あした、信者さんが、喜寿のお祝いをしてくださるらしい。来てみないか。」と電話で誘っておいた親友の杉崎さんが来てくれました。お祝い会のあと「清瀬って、あったかいねー。いい教会だなー。ほんと。珍しいね。」と言ってくれました。その通りです。

図1