主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)
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大司教様のご活躍は、目がさめるほどです。別におべっかを使っているのではなく、本当に驚いています。着座二年半ほどで、かなりの数の小教区を訪ね、堅信の秘跡を授けるというだけではなく、その教会が抱えている問題をきちんと把握して、当面の指示を与えておられます。

教区の運営に関しても、若い人材を適宜に使って、これからの教区の流れに活力を与えようとしておられます。教区内のことだけではなく、日本全体の教会の現場の現状認識と展望を鋭い目で見ておられます。あるべき姿とか議論のための議論では、何も変えられないことを、よくわかっておられるように思います。

司祭たちも、司教様の意気に、ちゃんと反応し、若い司祭がやる気を起こしているのを感じます。これからの二年間、司教様の教区運営の実質的な手足になる司祭評議会の選挙に参加していて、それを痛感しました。国政に見られる「忖度」(そんたく)ではなく、少し大げさかもしれませんが、司教様を通して示される教会の使命の実現にできるだけのことをして行こうという決意を感じました。

これから、司教様は、信徒の意見を十分に汲み取り、手足となる司祭たちを交えて、教区というより、教会に課せられた課題に取り組んで行かれるでしょう。場当たり的な教区運営ではなく、なんとなく停滞気味な教会の現状に「喝」を入れるような指針を出されるでしょう。心ある信徒は、ワクワクしながらそれを待っています。若い司祭たちも、自分の世界にこもりがちな修道者たちも待っています。ペトロの後継者である教皇をリーダーと仰ぐ司教が、教皇の意図に従って、その実現に力を尽くすのは極めて当然なことです。それが、普遍(カトリック)教会です。

司教様を見てると、なんとなく安心感が伝わってきます。誤解のないようにおねがいしますが、司教様が、根っからのカトリック信者だということです。キリシタンの末裔という意味ではなく、生まれた時からカトリック家庭に育ち、小神学校で信仰のイロハを叩き込まれ、信仰が根付いている経歴の凄さに、安心を感じるのです。今回の教皇来日に際し、そばで教皇様に付き添っておられる姿に何の違和感がありませんでした。頼りになる息子がそばにいて安心ですね、と申し上げたい気持ちでした。

大きな行事だった教皇来日も無事終了してホッとされる間もなく、教区運営の課題との取り組みが本格的に始まります。決して、上意下達のようなものではなく、信徒が取り組みやすいように、信仰に生き、信仰を伝えることです。「分かりやすい」、「やりやすい」ように、という配慮は今まで通りだと思います。ただ、小教区や修道会が勝手に進めるのではなく、なるべく教区全体で流れを作って行けるようなやり方だと思います。信徒が理解できないような難しい問題提起ではなく、喜びをもって進められるような宣教方法が提起されるでしょう。何よりも大事なことは、信徒の信仰生活を豊かにすること、神様の愛を身近に感じること、それを、伝えることです。

さてさて、新しい年を迎えて、初夢のようなことを並べてしましました。私の夢は、花咲か爺になることです。「筋肉は嘘つかない」という言葉が囁かれているようですが、私だったら「花は嘘をつかない」と言いたいです。花には「おひさまと、水と、いい土が必要です。ほっとけば、土地は、すぐに草ぼうぼうになってしまいます。草ぼうぼうでは、人は寄ってきません。五島列島の教会を見てください。信徒は少なくなっているのに、教会に行くと、季節に花が咲いていて、来る人を歓迎してくれます。どの教会もそうです。まず花が歓迎してくれ、聖堂がいつも開いていて、マリア様とご聖体が迎えてくださいます。その点は、私たちも見習いたいと思います。

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