主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)
DSC_0052

教皇様がいらっしゃるのを、一般の新聞はどうのように受け止め、どのように書いているかが気になって、思いついたように、近所のコンビニに寄って、2〜3社のものを買ってきて読んでいます。横文字を縦文字にしたようなものが多い中で、「いいね」をつけたい記事があって、嬉しく思ったり、まだまだだなと思ったりしました。

先週、私がとっている毎日新聞の教皇記事に目が留まりました。「呼称、法王が教皇に、政府発表」というタイトルで、これまで日本政府として、ローマ法王としてきた呼称をローマ教皇に変更したと発表した、というものでした。その理由として、「カトリック関係者をはじめ一般に教皇の呼称を用いる例が多く見られるため」とのことでした。「外務省や日本のカトリック教会によると、日本とバチカンが外交関係を樹立した1942年当時の訳が『法王』となっており、日本政府はそのまま使用してきた。『法王』を使用しても間違いではない」(外務省)とのことだそうです。やっと、教皇という呼び方が認知されたという印象です。しかし、一度呼び慣らされた呼称は簡単に変わりません。徐々に変えられてゆくのを気長に待ちましょう。

さて、いよいよ、教皇様がいらっしゃいました。予想はしていましたけど、予想を何倍も上回る歓迎ぶりですね。前回、聖ヨハネ・パウロ二世教皇様の時もそうでしたけど、一人の人物に、あれほど衆目が集まることは驚くばかりです。それも、ただ珍しいからということではなく、その方から発せられる言葉に、多くの方々が耳を傾けられるということは、なんとも不思議というしかありません。今回のフランシスコ教皇も、笑顔を絶やさず、分刻みのスケジュールをこなしておられます。暖かい励ましの言葉の中にも、ドキッとするような指摘を行い、人々の心にヒントを残されるのは、やはり教皇様だからでしょう。

さて、小さなことですが、私も出席する、後楽園ドームスタジオでのミサについて、気にかかることを一つ挙げておきたいと思います。何しろ、収容人数が限られていることだし、何かと予想外のことが起きやすいところですから、入場者については、はじめから、関心が集まっていました。

教皇来日についての総責任者である、日本カトリック司教団が知恵を凝らしてやってくださったことですから、喜んで受けますし、協力できることなら、なんでもさせていただく気持ちです。しかし、司教団といえども、誰かの協力と実行機関を持たないとできないことなので、行事関係で業績を持っている企業に委託しなければならないことはわかっています。

「上手の手から水が漏れ」の諺(ことわざ)通り、ドームミサの出席者の選定に、どうしてこうなるのかと思えることが起きていました。それは抽選です。少ない席に多くの希望者が出ると参加条件を厳しく出して、最終的には、抽選に委ねるのは仕方のないことです。具体的に言えば、各教会に、申し込みのためのパスワードに当たる数字が決められ、教会に伝えられ、その教会の信徒だけがその数字を使って申し込む、そこまでは問題ありません。インターネットでその数字を打ち込み、要求されるままに答えながら進み、OKが出ると、その中からカトリック中央協議会が責任を持って抽選し、当たった方にだけに、具体的な書類が送られる方法でした。6人単位ですから、来なければ、待っていた6人とも行けないということです。仕方がありません。

少し、しつこく、申し上げます。わざわざ教会ごとにナンバーが与えられ、一人が申し込めばほかに5人が入場できるということは、たとえ抽選があるといえど、教会の方が優先されると思うのは当然で、多少、落ちる人がいても、大概は行けると思った信徒が多くいても仕方がないでしょう。しかし、教皇ミサが近づいてくるに従ってわかってきたのは、抽選に落ちた方が結構いたいうことです。

思えば、最初の段階で、説明書の下に、旅行社の名前と連絡先が詳しく載っていて、バスを用意しますよ、送り迎えしますよ、遠くの方々は宿泊のお世話もしますよと、なっていました。しかし、教会に属しているものとして、後楽園ドーム球場にどうやって行けばいいかが多少わかっているので、教会に割り振られたナンバーに従って、スマートフォンを駆使し、家族や、親しいもので行こうと申し込んだ方々が多いと思います。結果は、バスの勝ちでした。

結果的にそうなったというなら納得が行きます。しかし、わかっていてそうなったとするなら、してやられたのかなと思わざるをえません。もしそうなら、教皇様を迎えてのミサにはふさわしくありません。かくれて、身を粉にして働かれた方々には心から感謝いたします。連日、会議に会議を重ねて準備された方々には、改めて感謝いたします。しかし、納得のいかない信徒がいて当然かと思います。

図1