主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)
DSC_0030

「憲法九条は世界遺産」これは、最近出版された一冊の本のタイトルです。

何年か前に「日本国憲法の第九条にノーベル賞平和賞を」という運動がありました。残念ながら実現しませんでした。しかし、「憲法九条は世界遺産」というタイトルの本の著者は、改憲を党是と掲げている政権政党で幹事長を務めたこともある政治家、古賀 誠さんなのです。幹事長という地位は、党の番頭役で、選挙から財務までの舵取りをしてゆく重要な役務です。

早速、手に入れて読んでみると、政治家になろうとしたその時から、戦争は何も残さない、平和こそが政治の本願と思い続けてきたことを繰り返し言っておられます。一気に読ませていただきました。そしてすぐに最初から読み返しました。

1980年の衆議院議員選挙で初当選をして、2012年に政界を引退するまでの32年間、古賀さんの信念は変わらなかった。「戦争放棄」を掲げる日本国憲法こそが平和を守る砦であり、この砦を守ってこそ、日本に託された使命を果たすことになるという信念です。

つい最近行われた参議院選挙で、政権政党は、「これで、国民の信託を受けた。改憲を実現してゆく議論を始めよう」と言い始めました。それに対して、古賀さんは、著書のあとがきに、戦後で二番目に低い投票率からして、国民の総意を得るに至っているという見解に疑義を挟んでいます。何がなんでも、改憲を推し進めようという動きに「待った」をかけているのです。

著書の表紙の下の方につける帯に、古賀さんの気持ちが、かなりはっきりと表明されていますので、少し長いけど引用してみましょう。「最初の立候補の時から九条護憲を訴えた。自衛隊を海外に出す法律には処分覚悟で反対してきた。自分の母も含め無数の戦争未亡人を作ったこの歴史を二度と繰り返さないためだ。自民党を愛し、安部首相を尊敬するが、それでも九条の改正だけは許さない。」古賀さんの政治家としての立脚点は、この小さな文章に明確に表されている。つまり、74年前に終わったあのような戦争を繰り返してはならないということです。古賀さんの師であり盟友であった野中広務さんが生前口にし、私の記憶にあるのは、「最近の政治の流れを見ていると、戦争の匂いがしてならない。戦争を知らない世代に入ったのかなー」ということばです。その野中さんに背中を押されて、古賀さんは戦死した父親の戦没地を訪問します。フィリッピンのレイテ島でした。今はジャングルになっている、かつての激戦地で何千という命を落とした兵士たち、その分だけ戦争未亡人と父を知らない子供を生み出したことを深く思い、政治家の責任を強く胸に収めたそうです。どんなことがあっても、政治家が考える第一のことは、我が国の平和でなくてはならない。そこから、次のような結論に至るのです。「そもそも、憲法九条改正を時の権力者がいうことではありません。憲法は国民のものなのです。憲法は権力者の権力行使を抑制するための最高法規です」(p72)。正論だと思います。

1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行された現日本国憲法の三本柱の一つは平和主義です。何万回も言われてきたことでしょうが、戦争続きの世界で、日本国が、この72年間、戦争をしないでこられたのはこの憲法のおかげです。九条が盾となってきたからです。

引用が多くて恐縮ですが、古賀さんが近隣の諸国にも、平和憲法が大きな影響を及ぼしていること触れているのであげておきます。「あの平和憲法というもの、九条というものを我が国が持ったということによって、いくつか大事なことが生み出されました。その中で特筆すべきは、あの大東亜戦争を引き起こし、世界の国々に大きな迷惑をかけ、そのことに対するお詫びをしているという意味あいをも、平和憲法が持っているということです。」(中略)「だから私は世界遺産だと言っているし、なくしてはならないものだと申し上げているのです。」(p44)

古賀さんがおっしゃる「政治の貧困」は、国会中継を聞いてて感じます。ここ数年、常識では考えられない政治が、堂々と展開しています。選挙に強い与党が思う存分に政治を行っているような印象です。そんなところに、政権与党の中枢にいた古賀 誠さんが、突拍子もないこと、「憲法九条は世界遺産」というタイトルで本を出されてと知って、なんのことだろうと思いました。読んでみると、少し直情的ではあるけど、気持ちをそのまま述べておられます。年齢が近いせいか、一脈通じるものを感じました。

図1