主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)
西川神父

先週は、なんとなく疲れていて、ボーとしていました。贅沢な話ですが、黙想会疲れだと思います。素晴らしい環境で、三食昼寝付きの一週間を過ごしたわけですから、元気いっぱいと思いきや、北海道に行って来る旅、それになんとも言えない緊張感が、疲れの原因だったのです。

いろいろ本を読んだり、説教の準備をしたり、返事の手紙を書いたり、買い物に行ったり、はたまた、花に水をやったり、畑を耕したりと、ごく普通の生活ですが、疲れを引きずっている毎日でした。その中で一つ、元気をいただいた事件がありました。それは、4日の新聞の記事です。

私は毎日新聞を取っています。そして、わりと丁寧に読みます。一面から28面の番組欄まで目を通し、気になったことは再度読み直したりします。元気をいただいたのは、5面の社説です。「週刊ポストの特集 嫌韓におもねるさもしさ」と題して、鋭い指摘がなされていました。

日韓の対立が深まって、冗談ぬきに、この喧嘩、どこまでいったら、まあまあということになるのだろうと見ていました。しかし、全体的な印象としては、エスカレートするばかりです。日本の外務大臣が、韓国の外務大臣にきつい言葉を浴びせたり、駐日大使を呼んで叱責したという記事を読んで、「情けないなー、一国の大臣として恥ずかしいなー」と思っていました。韓国大統領は、「国のプライドを根底から傷つけられた」とまで、怒りを抑えての発言がありました。余程のことでなければ、そこまでおっしゃらないでしょう。

論説に戻ると、週刊ポストの特集は「韓国なんていらない」のタイトルで、「嫌韓」を通り越して「断韓」にまで行っていると指摘し、「日本人の韓国人への偏見やヘイト感情におもねり、溜飲を下げる効果を狙ったのではないか。だとすれば、さもしい姿勢と言わねばならない」と指摘しています。「さもしい」という言葉を投げかける社説記者に「ポスト誌」どう答えるのだろう。

活字離れの昨今にあって、週刊誌が、その存立をかけて、売れる記事作りに走ってしまうことは仕方がない。しかし、今回の「嫌韓」を通り過ぎて「断韓」までいったら、行き過ぎと言わねばならない。「民主国家だから政治的な批判の自由は、最大限保障されねばならない。ただ、その範囲を超えて相手国民への差別につながるような言論は、メデイアの責任として排除する必要がある。差別は人間存在の根源を傷つける暴力であるからだ。」

「寸鉄、人をさす」との諺があるが、この論説を読んで、それを思い出した。「寸鉄、人をさす」とは、「短くて人の心に食い入る言葉」という意味です。4日の論説「嫌韓におもねるさもしさ」は心につき刺さりました。韓国に対するヘイト(憎悪)や差別を煽るような雑誌や記事が氾濫しています。また、それに類する事件も、連日、新聞に乗らない日がないくらいです。

現実に、日本政府による韓国への輸出規制強化への反発から韓国で日本製品不買運動が起きており、日本車の新車販売台数が前年に比べて57%減少していると本日の新聞が報じています。旅行客もガタ落ちで、観光地が寂しくなっていることは頻繁に報じられています、悪夢です。

黙想疲れも、毎日の論説で吹っ飛びました。作られた感情の流れに飲み込まれてはなりません。歴史から学びましょう。そして、謙虚になりましょう。
そうしないと、道が開けません。

図1