主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)
西川神父

月の初めの金曜日のミサを「初金のミサ」といって普通のミサをしている教会はたくさんあります。以前は、初金だから「み心のミサ」をする教会もあったようですが、だんだん少なくなり、毎日のミサという便利な冊子に従って、その日の週日ミサをしてしまうという結果になってしまいました。残念。

朝ミサの時間を、一週間、通して八時開始にしてしまったので、月初めの金曜日(初金)も八時になり、十時なら出席できたのだけれど、八時は無理という方々を週日のミサから遠ざけてしまう結果になり、心苦しく思っていました。

そこで、月一回だけの初金のミサを、本来の「み心のミサ」で捧げることにしました。具体的な準備に取り掛かったのが7月でしたから、準備期間を2ヶ月置いて9月から始めることにし、教会委員会にかけて了承をもらい、お知らせに出していただいたというわけです。

準備は、初金ミサ専用のしおりを作ることから始まりました。「ドン・ボスコ社」発行の「毎日のミサの友」から、「イエスのみ心」を取り出し、原案を作りました。A年B年C年と、み言葉が配分されていて、当然ながら、答唱詩篇やアレルヤ唱もその年のものが当てられています。

原案を作って、パソコンに詳しいIさんに打っていただきましました。見事なものです。結局、ABC各年のしおりを作ってしまうことになりました。何度も推敲を重ねて下さいました。そしてそれを持って、秋津教会に行きました。印刷製本の機械が秋津にあるからです。

「僕、使ったことがないので、どうしていいかわからないんです。」と言いながら、結局、主任司祭の野口神父さんが、説明書を見ながら、最初から最後までやってくださいました。Iさんと私は、オロオロしながら紙を運んだり、受け取ったりするだけでした。野口神父さんに、心から感謝します。

しおりの表紙裏に、小さな文章を載せていただきました。以下が、それです。

「初金ミサへの勧め」

日曜日は主の復活を記念する日です。私たちは、教会に行って御ミサに与ります。イエス様が復活され、おびえながら集まっていた弟子たちの前に現れ、「あなた方のうちに平和があるように」とおっしゃいました。3度も予告されていたことが目の前で実現されたのです。弟子たちはイエス様がおしゃっていたことが真実であることを実感し、大いに喜びました。

復活された日から三日前、主はすべてに人の罪を身に負って十字架に架けられ、父なる神に全てを委ねて、死を受け入れました。この「すべての人」のうちに私たちも入っています。そして、それは今も、続いているのです。大げさな言い方をすれば、今も、私たちのあらゆる罪は、イエス様が十字架の上で流された血によって贖(あがな)い続けられているのです。特に、ローマ兵の槍で貫かれた心臓から吹き出た血はイエス様の真心を私たちに伝え続けています。

イエス様の本心は、み言葉として私たちに伝えられています。み言葉を受け止め、それを実行することに私たちの信仰の本題があります。しかし、もう一つの恵みは、十字架上で流されたイエス様の血にあります。すでに息絶えていたイエス様の心臓を槍で貫かせ、御血を地上に降らせたのは、イエス様の本心を会得するためにさせた父なる神の配慮としか考えられません。

金曜日は、毎週、十字架上で流されたイエス様の血を思い起こす日です。毎週は大きな負担になりますので、父なる神は、聖マルガリタ・マリア・アラコックを通して、その月の最初の金曜日にミサに与り聖体拝領をするよう勧めを与え、特別の恵みも約束し、イエス様の本当の心を知る機会を与えてくださいました。聖心(みこころ)のミサの意味はそこにあります。恵みはご利益(ごりやく)ではありません。すでにある大きな恵みに気付くことです。御ミサに与って、イエス様の本当のこころを会得する恵みを頂きましょう。

図1