主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)
西川神父

先週は、教会学校の夏キャンプがありました。二泊三日、教会を宿泊地にして、楽しいスケジュールが組まれていました。小学生から高校生までですから、それぞれ、学校やクラブの活動予定があって、全日程に参加するのは難しい状態だったにもかかわらず、教会を最優先にして参加していました。

1日目は、オリエンテーションを済まして、立川郊外にある昭和記念公園のプールに出かけました。夕方帰ってきて、銭湯に行き、すっきりして、教会に帰り、バーベキューでした。庭にセットされた大きなコンロで肉や野菜を焼いて食べました。食材や飲み物はお母さんたちがあらかじめ用意してくださっていました。

2日目は、高尾山登山が組まれていました。私にとって、このプログラムは、先月から、ずっと頭に引っかかっていたことでした。以前何度も登った山で、頂上から東京を見る景色は絶景でした。特に秋の登山は、空気が澄んでいるので、かなりのところまで見通すことができ、時間が過ぎるのを忘れてしまいそうだった思い出があります。

でもそれは、膝を痛める前のことで、足に何の心配がない時代の話です。もちろん、体力に自信いっぱいの時でした。70歳前半に、右足のアキレス腱を切り、1ヶ月の入院をしたり、そのあと、同じ右足の膝の軟骨が消耗して、普通に歩くことさえ、支障を感じるようになったのが75歳の頃でした。丁度、後期高齢者の仲間入りした時で、その年頃は皆、足のことで辛い思いをするようになっていて、私も例外ではなかったのです。

どの整形外科の先生もおっしゃるように、誰もが通らねばならない老いの一里塚なのです。治療方法はそれぞれですが、ともかく、足腰の筋肉をつけることに尽きるようです。ということは、朝晩、横になったままで、足を上下に動かして、ほんの少しずつ筋力をつけて行く体操です。そして、無理のない程度で歩くことです。つまり、ストレッチを倦まず弛まず続けることなのです。「過ぎたるは及ばざるが如し」で、無理は禁物です。時間がかかります。

考えてみれば、司祭の仕事は、ほとんど足の仕事です。儀式といい、病床訪問といい、買い物や、身の回りの雑事も全て、足で動いての作業です。「ピンポーン」と鳴れば、とにかく「ハーイ」と言って、二階から玄関に行かねばなりません。教会は、たくさん人がいるようで、朝晩、ほとんど、司祭が一人で対応しています。つまり、なにをしていても、「ハーイ」と言って、トントンと下に降りてゆくことが第一の務めです。つまり、歩けることが第1の条件です。

前の教会でも、清瀬に赴任してからも、朝晩のストレッチは欠かしません。筋力も少しながらついてきているような感じがします。もともと、働いたり、作業をしたりすることが嫌いなほうではありませんので、日常生活に不自由を感じたりはしていません。そろそろ、小さな山登りでもして、自分を試してみようかなと思っていた時に、高尾山登山が出てきたのです。問題は、山の乗り物を使わず、歩いてみんなと一緒に登りきれるかということです。

それこそ、若い時は、まだ舗装がよくできていない高尾山を、まるで走るように登ったものでした。長い階段もトントンと踏破していました。さて、76歳の老体で、みんなと同じペースでついて行けるか。顎を出してうずくまり、迷惑をかけている姿が目に浮かんだりしていました。その度に、「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせ、神様に全てを任せて、出発したのです。この不安な気持ちがそのまま通じているかのように、山田さん、小出さん、服部さんがぴったりとそばにつき、重いミサ用具や祭服の入ったカバンを持って支えてくださいました。

ゆっくりしたペースで進み、なんとか、半分登り、あらかじめ下見をして決めてくださっていた場所で御ミサを捧げました。ミサは、吉野兄妹のお母さんの追悼の意向です。二人を支えようという気持ちが、ミサを引き立てていました。

その時、清瀬教会が一つの家族になっていました。ミサの後、その場で、昼食を済ませて、さらに登山が続きました。私がローペースなので、みんなも休みを取りながら頂上を目指して登って行きました。山頂近くで、私は、別れを告げて下山の途につきました。教会で6時のミサが待っていたのです。帰りも、山田さんと服部さんが、重い荷物を持って一緒に降りてくださいました。手が抜けるような重さのカバンを持って、笑みを絶やさず同行してくださった二人に、心から感謝しています。下山にはケーブルカーを使いましたが、ちょっと自信がなかった、高尾山登山はともかく完了しました。夏キャンのプログラムで、みんなに中にあって、みんなの勢いに引っ張っていただいて山行は実現したと思っています。感謝感謝です。

夏キャンが終わって、数日は、足の疲れが残っていました。心地のよい疲れです。疲れていても、ストレッチは続けています。

図1