主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)
西川神父

参議院選挙があっけなく終わり、結果は、おおよそ大手の新聞が予想していた通りになっていました。投票率は、戦後二番目の低さで、消費税増税や年金問題が争点になっているので、その低さにはがっかりでした。消費税が10%になることは、生活に直接かぶさってくるので、投票に与える影響がかなりあると思っていました。買い物をするたびに、何に使われるかわからない状態で、定価の10%余計に払わなければならないことは穏やかではありません。選挙の前に、増税中止とか延期ということになるのじゃないかという予想が新聞に報じられていたくらいです。にもかかわらず、大きな争点にもならず、すんなり実施されるのです。消費税増税に、国民が、「NO(ノー)」突きつけることなく、選挙は終わりました。

日本経済の、いわば、元締め的な役割を果たすはずの日銀が、ブレーキをかけることなく、むしろ、景気を煽るようになって、何年も経ちます。私ごときが心配すようなことではないのでしょうが、財布の紐をぎゅっと締めて、借金だけの財布ではなく、何かがあったらちゃんと使える中身のある財布を次世代に渡せる金庫番の役割を果たしていただきたい。日本の財布はどうなってるのということが選挙の争点にならないのも不思議です。

さて、何のどんでん返しもなく、予想通りの結果におわったと言われる参院選で、民意が反映されたと思える選挙区が幾つかあったようです。一つは沖縄であり、もう一つは秋田県でした。沖縄は、当然、辺野古新基地建設賛成か反対かであるし、秋田県はイージス・アショア設置推進にあたっての初歩的ミスでした。政権政党は次々と首脳陣を総動員して、自分達が立てた候補者を当選させようと精魂を傾けたようです。しかし結果は、県民を納得させる結果にはなりませんでした。むしろ、民意は、辺野古新基地建設にもイージス・アショア設置にも、納得できないというと結果でした。

選挙がいつも民意を反映するとは限りません。その時その時の大衆心理、それを操作する政治集団のやり方が、巧みに、民衆を操ることが歴史上、何度もありました。きちんとした目を養っていないと、気付いたら取り返しのつかないことになってしまうこともあります。今回の参院選前後の動きを見ていたら、「大丈夫かな?」と思わせられることがありました。

選挙は、単に数の勝利が、民意の真意ではありません。国政を委ねるということと、数に任せればなんでもできるということとは、別問題です。多数決は、絶えず、少数意見を尊重し、禍根を残さない国政を進めてゆく事を前提としています(佐藤 功 著「憲法と君たち」p148~)。今回の選挙の評価をすることもそっちのけにして、首相は、参院選勝利「審判は下った」とばかりに、改憲議論を始めたのです。確かに、今回の選挙では、政権与党が勝利を得ました。しかし、改憲発議に必要な参院定数の3分の2の議席には達していないのが現実です。自分の手で改憲をしてみせるという気持ちはわかるような気がします。しかし、憲法に関しては、議論が熟していないし、第三次世界大戦の勃発が懸念されている昨今ですから、戦後70年問、少なくとも戦争をしないで済んだ防波堤のような憲法を守ることは、国政を委ねられた政治家の務めだと思います。

参院選挙の結果に関する余波が静まる間もない24日、首相は、官邸に、ハンセン病家族訴訟の原告・弁護団の代表を招いて面会し、謝罪をしました。代表一人一人の手を握って謝罪の気持ちを伝えました。社会構造として、根深く染み込んでいる、ハンセン病者とその家族に対する差別は、一朝一夕で解消されるものではありません。しかし、一国の総理が、報道陣の眼の前で、深々と頭を下げ謝罪したことは、差別解消の、確実な一歩となるに違いありません。薄暗い暗闇に一条の光がさした印象を受けました。

テレビもネットも見ないので、社会の動きに多少、鈍感になっていますが、新聞もラジオも、話題は、「吉本興業」一色になっています。人権にも関わっていますので、どうでもいいとは言いませんが、もっと、深刻で、緊急な問題が山積しているような気がします。何をどうしたらいいとは簡単には言えません。しかし、目をそらさず、「時のしるし」を見て行くことは、私たちの務めだと思います。

図1