主任司祭 西川 哲彌(にしかわ てつや)
西川神父

先週の土曜日(6日)に、国立ハンセン病資料館で「ハンセン病家族訴訟が問いかけるもの」という演題で講演会が開催されました。主催は「好善社」で講師は、ハンセン病家族訴訟弁護団共同代表徳田靖之さんでした。

本所教会の渡邉泰男神父さんから誘われていたので、少し早めに自転車で行きました。神父さんは、東京教区から派遣されて、カトリック中央協議会社会司教委員会部落差別人権委員会の秘書・実務担当をつい最近までやっていました。そのためか、会場の玄関で、一緒に活動してきた方々に声をかけたり、挨拶をしたりしていました。

徳田弁護士のお話は、圧巻でした。ひとこと、ひとことに、力と、暖かさがこもっていて、心に直接響いてきました。初めに、弁護士がハンセン病問題に関わるようになったきっかけから話されました。三十数年前にあるハンセン病の患者さんに会い、人生観が変わるほどの感動を与えられたこと、そして、その感動が今も、自分を掻き立て、立ち向かわせているんだそうです。

かわいそうだからとか、頼まれたからというのではなく、関わらせていただき、自分が作り変えさせられてゆく喜びで、今日も、こうやって、話させていただいていますと、にこやかなお顔で、一時間半、よどみなく語られたのです。

ハンセン病が、天刑病とか、遺伝病とか言われ、未だに、偏見と差別の目で見られていることの現実、国民大多数がハンセン病の病歴者やその家族を差別する「社会構造」に、私たちが組み込まれてきて、今もそれが続いていることを、懇切丁寧に解き明かされました。

講演会から遡ること9日前、つまり、6月28日、熊本地方裁判所は、隔離政策撤廃後も続いてきた、ハンセン病患者家族の差別に対する国の責任を認める判決を言い渡しました。講演会の最後で、弁護士は、「今、微妙な時間を、私たちは過ごしています。それは、この判決に、国が控訴するかどうかの成り行きを見ているからです」と。

1996年、「らい予防法」というハンセン病者を隔離収容する法律が廃止され、ハンセン病者は隔離から解放されました。その後、長期にわたって療養所に閉じ込められていた入所者から、国が憲法違反の状態を容認してきたことに対する賠償請求を裁判所に提訴しました。そして、2001年熊本地裁は原告(患者)勝訴の判決を下しました。その時も、果たして国が控訴するかどうか、国の姿勢が問われました。当時の小泉首相が控訴を断念し、国の敗訴を受け入れ、ハンセン病問題に、国を挙げて取り組んでゆくと声明を出しました。これは、当時の小泉人気を一気に押し上げる効果があったと言われています。歴史は繰り返すと言いますが、果たして、安倍首相が、控訴をしない選択をするかどうか、息を飲むような時間が流れました。そして先週の火曜日(9日)の午前、「控訴せず」の表明があったのです。

隔離法の撤廃は、直接には患者さんの問題でした。しかし、今度の裁判は、裾の広い、患者家族の問題ですので、なかなか簡単に行かないかもしれないという懸念がありました。「なんといっても、国を相手に訴訟を起こし、国を打ち負かすということは並大抵なことではないのです。」と徳田弁護士が力を込めて言っていました。「そのために、皆さん、是非、力を貸してください」と壇上から、深く頭を下げておられました。その姿が目に焼き付いています。

政府が控訴を断念したからといって、急に何かが変わるわけではありません。社会構造という大きな壁は、私たち全体に強くあり続けるでしょう。この構造を、わずかながらも切り崩す作業が残っていると、徳田弁護士がおっしゃっていました。差別や偏見が、どれだけ根強いものかは、他の分野の問題を見てもはっきりしています。意識するかどうかは別にして、私たちの心と、体の中にしっかりと根を下ろしているからです。

とりあえず、この判決で、患者さんたちは、ハンセン病を隠す必要がなくなりました。もともと、ハンセン病は治る病気です。「早期に発見し、適切な治療を行えば、顔や手足に後遺症を残すことなく、治るようになっています。」(厚労省発行「ハンセン病の向こう側」より)。しかしながら、結核同様、世界中、まだまだ根強く残っている手ごわい病気の一種でもあります。そのうち、医療技術の向上と、特効薬の開発でやがて消えてゆくでしょう。

問題は、徳田弁護士が声の限りに強調されていた、社会構造としての差別と偏見です。それは、どんな病気より、手ごわいものです。「時間がかかるでしょう。しかし、時間をかけて、一歩一歩、進めてまいりましょう。」弁護士の顔は、いつも明るく、喜びに満ちているように見えました。この十日間、歴史の輪が、ほんのわずかですが、音を立てて動く感じがしました。

図1